茶の蔵 かねも
☆大名物・名物・至福が新茶になっております☆
現在、「大名物」・「名物」・「至福」の新茶がお店に並んでいます

「大名物」
掛川市日東地区の優良茶園の良質な旬の若芽を丁寧に摘み、限られた原料を仕上げた限定品です
篤農家の茶園の若芽を丁寧に全て手摘みで摘んだお茶です。
茶道では茶道具の名品を名物と呼びます。
名物のなかでも利休以前の特別な優品を大名物と呼びます。
5,250円(内税)
「名物」

特撰東山 名物(めいぶつ) 100g缶
掛川市日東地区の限定品
篤農家の茶園の若芽を丁寧に摘んだお茶です。
「名物」茶道では茶道具の名品を名物と呼びます。
3,150円(内税)
「至福」

「至福」は“心をこめたおもてなし”、“贈り物”にお勧めします。
やわらかな若芽の煎茶の旨みが至福をもたらします。
五月二日前後の八十八夜ごろ摘んだ若芽を厳選した高級深蒸茶です。
八十八夜の清々しい風のような香気と滋味をお楽しみ下さい。
心をこめた贈り物に最適と存じます。
掛川産深蒸し茶。


「大名物」
掛川市日東地区の優良茶園の良質な旬の若芽を丁寧に摘み、限られた原料を仕上げた限定品です
篤農家の茶園の若芽を丁寧に全て手摘みで摘んだお茶です。
茶道では茶道具の名品を名物と呼びます。
名物のなかでも利休以前の特別な優品を大名物と呼びます。
5,250円(内税)
「名物」

特撰東山 名物(めいぶつ) 100g缶
掛川市日東地区の限定品
篤農家の茶園の若芽を丁寧に摘んだお茶です。
「名物」茶道では茶道具の名品を名物と呼びます。
3,150円(内税)
「至福」

「至福」は“心をこめたおもてなし”、“贈り物”にお勧めします。
やわらかな若芽の煎茶の旨みが至福をもたらします。
五月二日前後の八十八夜ごろ摘んだ若芽を厳選した高級深蒸茶です。
八十八夜の清々しい風のような香気と滋味をお楽しみ下さい。
心をこめた贈り物に最適と存じます。
掛川産深蒸し茶。
2012年05月06日 Posted by 茶の蔵かねも at 20:42 │Comments(0)
☆★☆本日、新茶が販売になりました☆★☆
お待たせいたしました(*^ー^*)!!!
本日から、新茶がお店に並びました

大走り
100g 1,575円
お店ではみなさまに新茶を試飲して頂いています
ぜひ今年の新茶を飲みにきてください
ご来店お待ちしております(*^ー^*)!!!!!
これから至福・口福・天下一と新茶が発売になっていきますので
発売次第お知らせさせていただきます

本日から、新茶がお店に並びました


大走り
100g 1,575円
お店ではみなさまに新茶を試飲して頂いています

ぜひ今年の新茶を飲みにきてください

ご来店お待ちしております(*^ー^*)!!!!!
これから至福・口福・天下一と新茶が発売になっていきますので
発売次第お知らせさせていただきます


2012年05月01日 Posted by 茶の蔵かねも at 18:24 │Comments(0)
5月4日とびっきり!しずおかで新茶と干菓子が紹介されます
ゴールデンウィークが始まりましたね。
5月4日(金)放送の「とびっきり!しずおか」の「街トレ」のコーナーで新茶のシーズン、おいしいお茶と
お茶に合うお菓子がいろいろと紹介されるそうです。
そちらで、かねもの御干菓子「茶の花」と新茶が紹介されるそうです
ぜひご覧になってください

とびっきり!しずおか
16:45~ 静岡朝日テレビで放送
かねもが紹介される詳しい時間はわかりません。申し訳ありません
もうすぐかねもでも新茶が発売されます
どうぞよろしくお願いいたします

5月4日(金)放送の「とびっきり!しずおか」の「街トレ」のコーナーで新茶のシーズン、おいしいお茶と
お茶に合うお菓子がいろいろと紹介されるそうです。
そちらで、かねもの御干菓子「茶の花」と新茶が紹介されるそうです

ぜひご覧になってください


とびっきり!しずおか
16:45~ 静岡朝日テレビで放送
かねもが紹介される詳しい時間はわかりません。申し訳ありません

もうすぐかねもでも新茶が発売されます
どうぞよろしくお願いいたします


2012年04月30日 Posted by 茶の蔵かねも at 11:41 │Comments(0) │お知らせ・新着情報
御林茶業組合の杉本和久さんよりお写真をお送りいただきました。

23年3月定植のやぶきた いい芽です

通常のやぶきた きれいです

春整枝あさつゆ 美しい、高貴

つゆひかり 力強い太い芽です

更新園のやぶきた いい具合です
2012.4.26 11:14 杉本和久
2012年04月27日 Posted by 茶の蔵かねも at 18:55 │Comments(0) │生産家より
突然鹿が
☆新茶コンサートのご案内☆
5月20日にかねもで
新茶コンサートが開催されます
詳細をご案内致します(*^-^*)!!

[ 曲目 ]

石田聖子(チェロ)

谷野はるか(ピアノ)

大久保 青空(書家)


ピアノ:ベーゼンドルファー225
新茶コンサートが開催されます

詳細をご案内致します(*^-^*)!!
かねもサロンコンサート
チェロと書道のコラボレーション
チェロ ・ 書
石田 聖子 大久保 青空
チェロと書道のコラボレーション
チェロ ・ 書
石田 聖子 大久保 青空

新茶の季節。香りと味を楽しみながら
書道家のパフォーマンスを通して、美しい音楽を目で見てみましょう。
五感に響く、何か新しい発見がありそうです。
< strong>
書道家のパフォーマンスを通して、美しい音楽を目で見てみましょう。
五感に響く、何か新しい発見がありそうです。
< strong>
日時 2012年5月20日(日)
午後1時から 煎茶サービス
午後2時 コンサート
場 所 創業1872年 茶の蔵 かねも
ティーカルチャーホール

静岡県掛川市掛川70 ☎0537-22-3145
JR掛川駅より徒歩10分、東名掛川ICより車で5分
http://www.kanemo.co.jp/index.html
料金 大人 ¥2,500 小・中学生 ¥1,000
[サロンコンサート]
午後1時から 煎茶サービス
午後2時 コンサート
場 所 創業1872年 茶の蔵 かねも
ティーカルチャーホール

静岡県掛川市掛川70 ☎0537-22-3145
JR掛川駅より徒歩10分、東名掛川ICより車で5分
http://www.kanemo.co.jp/index.html
料金 大人 ¥2,500 小・中学生 ¥1,000
[サロンコンサート]
・午後1時より 煎茶サービス
(新茶の入れ方を教えていただき、味わいましょう。)
・チェロコンサート
・チェロ&書のパフォーマンス
[ 曲目 ]
黛敏郎:文楽
J.S バッハ:無伴奏組曲
日本の歌 他
チケットのお申込み・お問合わせ
Gala工房(高橋) 電話&FAX 0537-21-1893
掛川市長谷1丁目15-6 (〒436-0047)
ホームページ http://gala-kobou.jp
株式会社 かねも 電話 0537-22-3145
掛川市掛川704(〒436-0079)

石田聖子(チェロ)
千葉県出身。部活動としてチェロを始め、
小中学校で6年間オーケストラ部に所属。
東京藝術大学音楽学部器楽科、
ベルリン ハンスアイスラー音楽大学卒業。
卒業の後、 河野文昭、高麗正史、ゲオルグ ファウスト、
クライフ カーナリウス、ミヒャエル ザンデルリング師に師事。
ブランデンブルグ交響楽団の研修生を経て、
現在 大阪フィルハーモニー交響楽団団員。
小中学校で6年間オーケストラ部に所属。
東京藝術大学音楽学部器楽科、
ベルリン ハンスアイスラー音楽大学卒業。
卒業の後、 河野文昭、高麗正史、ゲオルグ ファウスト、
クライフ カーナリウス、ミヒャエル ザンデルリング師に師事。
ブランデンブルグ交響楽団の研修生を経て、
現在 大阪フィルハーモニー交響楽団団員。

谷野はるか(ピアノ)
浜松学芸高等学校音楽科(現:芸術科)、
桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ専攻卒業。
第16回全日本ソリストコンクールにて優秀賞受賞。
ウィーン秋季セミナー参加、現地にて修了コンサートを行う。
これまでに、中神益代、武藤公子、権藤譲子、各氏に師事。
現在、声楽、器楽、シャンソンの伴奏ピアニストとして活動中。
Gala工房ピアノ講師。
桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ専攻卒業。
第16回全日本ソリストコンクールにて優秀賞受賞。
ウィーン秋季セミナー参加、現地にて修了コンサートを行う。
これまでに、中神益代、武藤公子、権藤譲子、各氏に師事。
現在、声楽、器楽、シャンソンの伴奏ピアニストとして活動中。
Gala工房ピアノ講師。

大久保 青空(書家)
3歳よりピアノ、6歳より書道をはじめる。
書道は中学で段取得後活動休止。
東京音楽大学卒業後、書家宮澤静峰、篠塚青水に師事。
『産経国際書展』 第19回より特選4回、
『産経書のアート展』 第18回より特選ほか、
『蘭生書道展』 第38回 一般の部
最高位にあたる蘭生準大賞受賞、
『日本書道芸術学会書き初め誌上展全国大会』
第6・7・8回 日本書道芸術学会グランプリ賞受賞。
筆以外にも紙やティッシュ、板など、
『ものの形状』を書道用具に生かしたり、
文字形態を持たない作品スタイルも多いが、
あくまでも筆法は書道の技
(線の渇筆・滲み・濃淡・紙質の利用)を主体としている。
バッハ、イザイ、R・シュトラウス、ショスタコーヴィチ、
ラヴェル、クラシック音楽以外にも、あらゆる音を書に込める。
書道は中学で段取得後活動休止。
東京音楽大学卒業後、書家宮澤静峰、篠塚青水に師事。
『産経国際書展』 第19回より特選4回、
『産経書のアート展』 第18回より特選ほか、
『蘭生書道展』 第38回 一般の部
最高位にあたる蘭生準大賞受賞、
『日本書道芸術学会書き初め誌上展全国大会』
第6・7・8回 日本書道芸術学会グランプリ賞受賞。
筆以外にも紙やティッシュ、板など、
『ものの形状』を書道用具に生かしたり、
文字形態を持たない作品スタイルも多いが、
あくまでも筆法は書道の技
(線の渇筆・滲み・濃淡・紙質の利用)を主体としている。
バッハ、イザイ、R・シュトラウス、ショスタコーヴィチ、
ラヴェル、クラシック音楽以外にも、あらゆる音を書に込める。

【愛】
第25回産経国際書展特選

【Bach BWV921 Ⅰ】
バッハ作品921番によるイメージ Ⅰ・Ⅱ


【R】
リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ナクソス島のアリアドネ」を
聴きながら書いた。楽譜は時間軸の絵画。線と線がズレる。
繋がりレガートする。 リヒャルトの音楽は様々なメロディラインが
縦横に紡がれるので、視覚化すると近くで見ても遠くで見ても
きっと美しい。 協和音と不協和音の瀬戸際の美学。
タイトルは作曲者R.シュトラウスの頭文字。
ピアノ:ベーゼンドルファー225
2012年04月18日 Posted by 茶の蔵かねも at 17:19 │Comments(0) │お知らせ・新着情報
桜 蓮華寺池公園
藤枝の「蓮華寺池公園」に行ってきました

「蓮華寺池公園」はジャンボすべり台やアスレチックがあってとてものどかな場所です。
大きな池があってスワンボードに乗ったりできます。
また、広場でお弁当を食べたり、お花見をしたりとのんびり楽しめます。
季節ごとにいろんな花を見ることができるそうです。
5月はツツジ、サツキ、スイレン、花しょうぶ
6月は 花しょうぶ、アジサイ、スイレン
などが見られるそうです。
ゴールデンウィークのお出かけにも楽しめそうですね

先週はまだ満開ではありませんでした


枝垂れ桜です
石山

「蓮華寺池公園」はジャンボすべり台やアスレチックがあってとてものどかな場所です。
大きな池があってスワンボードに乗ったりできます。
また、広場でお弁当を食べたり、お花見をしたりとのんびり楽しめます。
季節ごとにいろんな花を見ることができるそうです。
5月はツツジ、サツキ、スイレン、花しょうぶ
6月は 花しょうぶ、アジサイ、スイレン
などが見られるそうです。
ゴールデンウィークのお出かけにも楽しめそうですね

先週はまだ満開ではありませんでした
枝垂れ桜です
石山
2012年04月12日 Posted by 茶の蔵かねも at 19:23 │Comments(0) │社員日記
生産家 杉本さんより
最近低温続きで新芽は足踏み状態。
昨年並みの開始になるのかな?
今朝も自宅軒下で0℃、ファンが全園稼働していました。
でもいまのところ遅霜の被害はなくキレイな芽です。
やぶきた
あさつゆ(春整枝)

つゆひかり

つゆひかり園から粟ヶ岳

やぶ、あさ、つゆのむこうに袋井の街が見えます

佐夜の中山から御林そして粟ヶ岳 左手は御林の茶工場

隣家は「あさつゆ」を植えました

敷草を終えました 複条(二列)植えです


2012年04月09日 Posted by 茶の蔵かねも at 19:29 │Comments(0) │生産家より
No.37 志戸呂 四耳壺「祖母懐」銘
越谷梅林 2012
お彼岸も過ぎたというのに寒い日が続きます。
越谷梅林公園の梅がやっと見頃となりました。
例年より1ヶ月は遅い気が致します。
木瓜盆栽
店主のご友人の木瓜盆栽さんから、今年も越谷梅林の写真を送っていただきました。
赤、白、ピンクと華やかできれいですね


最後の写真は枝垂れ梅でしょうか。
掛川もまだ寒いですが、昨日事務所から工場までの道から見える
桜のつぼみが開いていました

道端でつくしも見かけました

春はもうすぐそこですね

2010年~「四季の表情」です
http://kanemo.hamazo.tv/c565139.html
2012年03月27日 Posted by 茶の蔵かねも at 11:47 │Comments(0) │四季の表情
No.36 志戸呂 四耳壺
御林茶業組合の杉本和久さんよりメールをいただきました。
このほど茶業組合の組合長を退任し、
ヒラ組合員に戻った杉本和久です。
これで以前のように茶業に専念できそうです。
このところ、確定申告を控えて決算に忙殺され、
メールする余裕がありませんでしたが、
やっとキリがついたので、送信します。

深さ1.5m程度までバケットですくい、ほぐします。

アームを伸ばし、凸凹がないよう均します。

このサイズのバックホーだと軽油が150L以上入るでしょう。
130円/Lだと20,000円くらい?

改植の重機作業終了 あとは小型の耕耘機で土の塊を細かくします。
2012.2.29 9:40 杉本和久
ヒラ組合員に戻った杉本和久です。
これで以前のように茶業に専念できそうです。
このところ、確定申告を控えて決算に忙殺され、
メールする余裕がありませんでしたが、
やっとキリがついたので、送信します。

深さ1.5m程度までバケットですくい、ほぐします。

アームを伸ばし、凸凹がないよう均します。

このサイズのバックホーだと軽油が150L以上入るでしょう。
130円/Lだと20,000円くらい?

改植の重機作業終了 あとは小型の耕耘機で土の塊を細かくします。
2012.2.29 9:40 杉本和久
2012年03月01日 Posted by 茶の蔵かねも at 09:53 │Comments(0) │生産家より
第三十四回 中 勘助 ――伝えにくい手揉茶の秘訣(1)
株式会社「かねも」相談役 角替茂二
静岡市に在住の方なら新聞の中勘助文学記念館に脚を運ばれた事もあるだろう。そこには作家中勘助を偲ぶゆかりの品々が展示されているが、復元された杓子庵もなかなか素敵な建物である。
中氏の作品の中で有名なのは何と云っても、「銀の匙」。その解説には和辻哲郎のそれが最も適確。
和辻哲郎の解説
………
その最初のまとまった作品がこの『銀の匙』の前篇なのである。それは明治四十四年の夏、信州野尻湖畔(のじりこはん)において書かれた。作者はその時二十七歳であった。
この作品の価値を最初に認めたのは夏目漱石である。漱石はこの作品が子供の世界の描写として未曾有(みぞう)のものであること、またその描写がきれいで細かいこと、文章に非常に彫琢(ちょうたく)があるにかかわらず不思議なほど真実を傷つけていないこと、文章の響きがよいこと、などを指摘して賞賛した。そうしてこの作品は翌年漱石の推薦によって東京朝日新聞に掲載せられた。当時この作品を漱石ほどに高く評価した人は多くはなかったであろう。しかし今にして思えば漱石の作品鑑識眼はまことに透徹していたのである。
『銀の匙』後篇は翌大正二年の夏叡山(えいざん)で書かれた。漱石はこれを前篇よりもいっそう高く評価した。これもやがて同じ新聞に掲載せられた。 (岩文)
東京のど真中神田で生れた「銀の匙」の主人公はその少年期を小石川の高台で過ごすこととなった。そこは閑静な屋敷街があり、随処に茶畑が点在していて、読む人は一世紀前の東京の茶畑風景をよく知らされる。そしてこの作家の書いた茶についての繊細優雅な趣に作者の先天的な詩人としての感受性の鋭さを知らされるにちがいない。
………
小石川の茶園
………
このへんのものはみな杉垣をめぐらした古い家に静に住んでいる。おおかた旧幕時代から代代住みつづけてる士族たちで、世がかわって零落はしたがまだその日に追われるほどみじめな有様にはならず、つつまやかにのどかな日をおくってる人たちであった。それに人家もすくない片田舎のことゆえ近処同士は顔ばかりか家のなかの様子まで知りあってお互に心やすくしている。朽ちたまま手をいれない杉垣のうちにはどこにも多少のあき地があって果樹など植えられ、屋敷と屋敷のあいだには畑がなくば茶畑があって子供や鳥の遊び場になっている。畑、生垣、茶畑、目にふれるものとして珍しく嬉しくないものはない。
………
すこしばかりの茶畑を間にして南隣りに少林寺(しょうりんじ)という禅寺があった。……門から玄関まで二十間(けん)ばかりのあいだ二行に敷かれた石の両側が荒れた茶畑になって、ところどころ杉の木やなにか立っている。私はよくその茶の花をとってもらったが、枝にもろいその花はひとつとるとはばらばらといくつもいっしょに散って地に落ちた。また雨のあとなどには茶の木茶の木に雫がいっぱいたまってきらきらと光っている。なんの奇もないながらかすかなさびのある茶の花は稚(おさな)い折の思い出にふさわしい花である。円(まる)みをもった白い花弁がふっくらと黄色い蕊(しべ)をかこんで暗緑のちぢれた葉のかげに咲く。それをすっぽりと鼻へおしつけてかぐのが癖であった。左りての閼伽井(あかい)のそばの木犀(もくせい)は花がさけば甘い香を漂わせ、その井戸車の軋る音は静な茶畑をこえて私の家までもひびく。……
お國さんとかくれんぼのとき
………
やっとの思いでそこを通りぬけて茶畑のほうへゆくと隣の乳牛が埒(らち)のうえから頸(くび)をのばして めえ という。それが怖いので茶畑のなかはいいかげんにしてお庭をさがす。大きな木が沢山あるのでなかなか見つからない。あたりを見まわしても誰もいないし、帰り路には牛と鵞鳥が待ちかまえてるし、心細くなって「もういいかーい」と
呼んでみる。 (岩文 銀の匙P59)
後の「しづかな流れ」に岩波百合子との会話がある。(全六P94)
………
その話しぶりやものごしがお母様ゆづりだといふことを私は最初の瞬間から見てとつた、茶の湯で練りあげたとでもいひたいやうな沈著ぶりも。それから百合ちやんの今の住居の話になつて、私は四十年も昔小石川の家が建つた頃の様子、杉垣や、野菜畑や、茶畑や、雉子(きじ)の声や……今の郊外には見られないのどかな有様を語つてきかせた。……
少林寺の老僧
ある日のこと貞ちゃんの留守にひとりで遊んでたときに離れでれいの蜩(ひぐらし)の鈴が鳴った。が、折あしく茶の間には誰もいなかったので私は思いきって離れへいった。橋をわたったところのうす暗い部屋には衣桁(いこう)に輪袈裟(わげさ)や数珠がかかって香(こう)の薫(かおり)がすーんともれてくる。私はそこまでゆきはしたものの急に気おくれがしてためらっていた。耳の遠い老僧は足音がきこえなかったかまたからからと鈴を
鳴らした。私はようやく襖をあけて手をついた。彼方はなにげなく大きな茶托をさしだしたがふと顔をみて
「おお、これはこれは」
といった。私は瞼をふるわせながらお辞儀をして茶托をうけとり、はずかしいような、嬉しいような、大願成就したような気もちで茶の間へきて見おぼえたとおりそこにある番茶をいれてもっていった。橋が朽ちてゆらゆらするのでともすればこぼれそうになる。頭をさげて出したらまた
「おお、これはこれは」
といった。私は静に襖をたてほっとして橋をわたった。それからはときどき家の人のかわりにゆくことがあったが、私はいつも どうかして話をする機会を得たい とそればかり願っていながら前へでるとなにひとついい得ずに黙って茶碗をうけとり、黙って茶碗をさしだして帰ってくる。さきは梟(ふくろう)かなぞのように おおこれは をくりかえすばかりでちっとも言葉をかけない。黒塗りの茶托を手にうけて橋をわたるとき南天の実をくいにきたひよ鳥があわただしくたって茶をこぼさせたこともあった。月の夜なぞに白い花がほろほろと橋のうえに散ってたこともあった。 (岩文P182)
幼年の頃より、茶の花、茶畑を愛した詩人中勘助は戦時中静岡のはとりに疎開、戦後も暫らく滞在し続けたので、茶についての観察と理解が深く、多くのことを云っている。ここには主としてその詩、及び随筆小品、和歌、俳句などそのいくつかをあげてみる。
◇ さ月はとり
さ月はとりは茶つみのさかり
山は蜜柑の花ざかり
風がさそへば里まで匂ふ
はとり娘の香ににほふ
みんなみな月田植ゑのさかり
野らは娘の花ざかり
つづやはたちは嫁入りざかり
つめやたんぽぽ蓮華草
刈れや鎌もつて大麦小麦
恋のひとすぢ矢羽根むぎ
かるは黄金ようゑるは緑
かはい白妙頬かむり (全10P222)
◇はとりや茶どころ
ほとりや茶どこよ蜜柑どこ
山にや黄金の鈴がなる
ほんによいとこ酒もある
蕪に大根さつまのさかな
梅ぼし茶漬でざぶざぶと
うはばみみたいに飯もくふ (全9P43)樟ヶ谷
◇茶籠
つんで山なす茶籠を背負つて
であふ管笠ぬしやたれ
角にイの字はお山のしるし
ももの花笑みあひじるし
声をかければふりむく笑顔
さつきあやめか燕子花(かきつばた) (全10P234)
◇ほほじろ
とんで隣の柿の木に
とまつた頬白のいふことにや
一筆啓上
古歌に曰くぢやなけれども
ここはおそばの花ざかり
豌豆は実になり申そろ
田うゑ麦かりそのまへに
茶つみにせいだし申候
さつさ鞍おけ荷馬に車
茶箱まんまん町へ出せ (全10P117)
◇茶の花
雨あがりの 納屋のかげに
ぶらりとさがる 支那瓜
柑子みかん 茶の花
ねぎの畑 藍のはた
藍の花 くれなゐにさき
そのそばに 黄菊さく
なきのこる 虫をききつつ
あひるの行水を みてゐれば
渡し舟に のりおくれて
おうおうと 岸によぶ人
雨ぐもは ひくくかかり
沼のなみ つめたくよる
ひとりたち しづかにおもふ
うれしくもわれは ここに来しかな
(全5沼のほとりP52)
◇小春の沼べ
雨あがり 茶ばたにむるる 赤とんぼ
篠きりて となりの茂平 とやつくる
帆の影も ほのぼのかすむ 小春びより
夢にきく うしろの岡の 頬白のこゑ
(全5沼のほとりP88)
◇番茶のかおり
山風や吹きおちぬらし
夏ながらしみる底びえ
心すみふけゆく宿に
かいなでんつま琴もなし
ぽつぽつとつまむ煎り豆
独り汲む番茶のかをり
うつせみの世をわび人に
たへがたき雨の音かな
(全6P142しづかな流れ)
◇番茶の茶漬
はたけ仕事にわしやくたびれて 湯あがり独酌二杯の麦酒
茄子の丸漬ばんちやの茶漬 調子はづれのおばこ節
四十ひとり者役なし苦なし 生きたかひもなし死にたくもなし
わろてたもるなお隣さんえ わしは大事は瓜かぼちや
(全5Pしづかな流れP244)
番茶のだしがら
十一時半になつた。まだすこしぬるいので簡単な昼飯にかかる。茶の間の火鉢に網をかけて半斤のパンをきりきりバタをつけてやきながらたべる。紅茶をいれるのが面倒なので朝の番茶のだしがらに熱い湯をさしてのむ。私はこれらのことをなにがなし踊躍の心をもつてやつてゐる。 (全5沼のほとりP26)
◇寒の凪
うらうらと寒の凪ぎ
野川で逢つた鶺鴒の句を案じつつ
小一里田圃をさまよつてもどれば
麦飯のたきたて
こんにやくの煮つけ
番茶の出花
梅の青漬もある
腹はへつたり
がうせいだぞ こりや (全10P357)(羽鳥二)
(つづく)
(つのがえ しげじ)
静岡市に在住の方なら新聞の中勘助文学記念館に脚を運ばれた事もあるだろう。そこには作家中勘助を偲ぶゆかりの品々が展示されているが、復元された杓子庵もなかなか素敵な建物である。
中氏の作品の中で有名なのは何と云っても、「銀の匙」。その解説には和辻哲郎のそれが最も適確。
和辻哲郎の解説
………
その最初のまとまった作品がこの『銀の匙』の前篇なのである。それは明治四十四年の夏、信州野尻湖畔(のじりこはん)において書かれた。作者はその時二十七歳であった。
この作品の価値を最初に認めたのは夏目漱石である。漱石はこの作品が子供の世界の描写として未曾有(みぞう)のものであること、またその描写がきれいで細かいこと、文章に非常に彫琢(ちょうたく)があるにかかわらず不思議なほど真実を傷つけていないこと、文章の響きがよいこと、などを指摘して賞賛した。そうしてこの作品は翌年漱石の推薦によって東京朝日新聞に掲載せられた。当時この作品を漱石ほどに高く評価した人は多くはなかったであろう。しかし今にして思えば漱石の作品鑑識眼はまことに透徹していたのである。
『銀の匙』後篇は翌大正二年の夏叡山(えいざん)で書かれた。漱石はこれを前篇よりもいっそう高く評価した。これもやがて同じ新聞に掲載せられた。 (岩文)
東京のど真中神田で生れた「銀の匙」の主人公はその少年期を小石川の高台で過ごすこととなった。そこは閑静な屋敷街があり、随処に茶畑が点在していて、読む人は一世紀前の東京の茶畑風景をよく知らされる。そしてこの作家の書いた茶についての繊細優雅な趣に作者の先天的な詩人としての感受性の鋭さを知らされるにちがいない。
………
小石川の茶園
………
このへんのものはみな杉垣をめぐらした古い家に静に住んでいる。おおかた旧幕時代から代代住みつづけてる士族たちで、世がかわって零落はしたがまだその日に追われるほどみじめな有様にはならず、つつまやかにのどかな日をおくってる人たちであった。それに人家もすくない片田舎のことゆえ近処同士は顔ばかりか家のなかの様子まで知りあってお互に心やすくしている。朽ちたまま手をいれない杉垣のうちにはどこにも多少のあき地があって果樹など植えられ、屋敷と屋敷のあいだには畑がなくば茶畑があって子供や鳥の遊び場になっている。畑、生垣、茶畑、目にふれるものとして珍しく嬉しくないものはない。
………
すこしばかりの茶畑を間にして南隣りに少林寺(しょうりんじ)という禅寺があった。……門から玄関まで二十間(けん)ばかりのあいだ二行に敷かれた石の両側が荒れた茶畑になって、ところどころ杉の木やなにか立っている。私はよくその茶の花をとってもらったが、枝にもろいその花はひとつとるとはばらばらといくつもいっしょに散って地に落ちた。また雨のあとなどには茶の木茶の木に雫がいっぱいたまってきらきらと光っている。なんの奇もないながらかすかなさびのある茶の花は稚(おさな)い折の思い出にふさわしい花である。円(まる)みをもった白い花弁がふっくらと黄色い蕊(しべ)をかこんで暗緑のちぢれた葉のかげに咲く。それをすっぽりと鼻へおしつけてかぐのが癖であった。左りての閼伽井(あかい)のそばの木犀(もくせい)は花がさけば甘い香を漂わせ、その井戸車の軋る音は静な茶畑をこえて私の家までもひびく。……
お國さんとかくれんぼのとき
………
やっとの思いでそこを通りぬけて茶畑のほうへゆくと隣の乳牛が埒(らち)のうえから頸(くび)をのばして めえ という。それが怖いので茶畑のなかはいいかげんにしてお庭をさがす。大きな木が沢山あるのでなかなか見つからない。あたりを見まわしても誰もいないし、帰り路には牛と鵞鳥が待ちかまえてるし、心細くなって「もういいかーい」と
呼んでみる。 (岩文 銀の匙P59)
後の「しづかな流れ」に岩波百合子との会話がある。(全六P94)
………
その話しぶりやものごしがお母様ゆづりだといふことを私は最初の瞬間から見てとつた、茶の湯で練りあげたとでもいひたいやうな沈著ぶりも。それから百合ちやんの今の住居の話になつて、私は四十年も昔小石川の家が建つた頃の様子、杉垣や、野菜畑や、茶畑や、雉子(きじ)の声や……今の郊外には見られないのどかな有様を語つてきかせた。……
少林寺の老僧
ある日のこと貞ちゃんの留守にひとりで遊んでたときに離れでれいの蜩(ひぐらし)の鈴が鳴った。が、折あしく茶の間には誰もいなかったので私は思いきって離れへいった。橋をわたったところのうす暗い部屋には衣桁(いこう)に輪袈裟(わげさ)や数珠がかかって香(こう)の薫(かおり)がすーんともれてくる。私はそこまでゆきはしたものの急に気おくれがしてためらっていた。耳の遠い老僧は足音がきこえなかったかまたからからと鈴を
鳴らした。私はようやく襖をあけて手をついた。彼方はなにげなく大きな茶托をさしだしたがふと顔をみて
「おお、これはこれは」
といった。私は瞼をふるわせながらお辞儀をして茶托をうけとり、はずかしいような、嬉しいような、大願成就したような気もちで茶の間へきて見おぼえたとおりそこにある番茶をいれてもっていった。橋が朽ちてゆらゆらするのでともすればこぼれそうになる。頭をさげて出したらまた
「おお、これはこれは」
といった。私は静に襖をたてほっとして橋をわたった。それからはときどき家の人のかわりにゆくことがあったが、私はいつも どうかして話をする機会を得たい とそればかり願っていながら前へでるとなにひとついい得ずに黙って茶碗をうけとり、黙って茶碗をさしだして帰ってくる。さきは梟(ふくろう)かなぞのように おおこれは をくりかえすばかりでちっとも言葉をかけない。黒塗りの茶托を手にうけて橋をわたるとき南天の実をくいにきたひよ鳥があわただしくたって茶をこぼさせたこともあった。月の夜なぞに白い花がほろほろと橋のうえに散ってたこともあった。 (岩文P182)
幼年の頃より、茶の花、茶畑を愛した詩人中勘助は戦時中静岡のはとりに疎開、戦後も暫らく滞在し続けたので、茶についての観察と理解が深く、多くのことを云っている。ここには主としてその詩、及び随筆小品、和歌、俳句などそのいくつかをあげてみる。
◇ さ月はとり
さ月はとりは茶つみのさかり
山は蜜柑の花ざかり
風がさそへば里まで匂ふ
はとり娘の香ににほふ
みんなみな月田植ゑのさかり
野らは娘の花ざかり
つづやはたちは嫁入りざかり
つめやたんぽぽ蓮華草
刈れや鎌もつて大麦小麦
恋のひとすぢ矢羽根むぎ
かるは黄金ようゑるは緑
かはい白妙頬かむり (全10P222)
◇はとりや茶どころ
ほとりや茶どこよ蜜柑どこ
山にや黄金の鈴がなる
ほんによいとこ酒もある
蕪に大根さつまのさかな
梅ぼし茶漬でざぶざぶと
うはばみみたいに飯もくふ (全9P43)樟ヶ谷
◇茶籠
つんで山なす茶籠を背負つて
であふ管笠ぬしやたれ
角にイの字はお山のしるし
ももの花笑みあひじるし
声をかければふりむく笑顔
さつきあやめか燕子花(かきつばた) (全10P234)
◇ほほじろ
とんで隣の柿の木に
とまつた頬白のいふことにや
一筆啓上
古歌に曰くぢやなけれども
ここはおそばの花ざかり
豌豆は実になり申そろ
田うゑ麦かりそのまへに
茶つみにせいだし申候
さつさ鞍おけ荷馬に車
茶箱まんまん町へ出せ (全10P117)
◇茶の花
雨あがりの 納屋のかげに
ぶらりとさがる 支那瓜
柑子みかん 茶の花
ねぎの畑 藍のはた
藍の花 くれなゐにさき
そのそばに 黄菊さく
なきのこる 虫をききつつ
あひるの行水を みてゐれば
渡し舟に のりおくれて
おうおうと 岸によぶ人
雨ぐもは ひくくかかり
沼のなみ つめたくよる
ひとりたち しづかにおもふ
うれしくもわれは ここに来しかな
(全5沼のほとりP52)
◇小春の沼べ
雨あがり 茶ばたにむるる 赤とんぼ
篠きりて となりの茂平 とやつくる
帆の影も ほのぼのかすむ 小春びより
夢にきく うしろの岡の 頬白のこゑ
(全5沼のほとりP88)
◇番茶のかおり
山風や吹きおちぬらし
夏ながらしみる底びえ
心すみふけゆく宿に
かいなでんつま琴もなし
ぽつぽつとつまむ煎り豆
独り汲む番茶のかをり
うつせみの世をわび人に
たへがたき雨の音かな
(全6P142しづかな流れ)
◇番茶の茶漬
はたけ仕事にわしやくたびれて 湯あがり独酌二杯の麦酒
茄子の丸漬ばんちやの茶漬 調子はづれのおばこ節
四十ひとり者役なし苦なし 生きたかひもなし死にたくもなし
わろてたもるなお隣さんえ わしは大事は瓜かぼちや
(全5Pしづかな流れP244)
番茶のだしがら
十一時半になつた。まだすこしぬるいので簡単な昼飯にかかる。茶の間の火鉢に網をかけて半斤のパンをきりきりバタをつけてやきながらたべる。紅茶をいれるのが面倒なので朝の番茶のだしがらに熱い湯をさしてのむ。私はこれらのことをなにがなし踊躍の心をもつてやつてゐる。 (全5沼のほとりP26)
◇寒の凪
うらうらと寒の凪ぎ
野川で逢つた鶺鴒の句を案じつつ
小一里田圃をさまよつてもどれば
麦飯のたきたて
こんにやくの煮つけ
番茶の出花
梅の青漬もある
腹はへつたり
がうせいだぞ こりや (全10P357)(羽鳥二)
(つづく)
(つのがえ しげじ)
2012年02月28日 Posted by 茶の蔵かねも at 15:57 │Comments(0)
No.35 志戸呂 四耳壺「祖母懐」銘
第三十三回 太宰 治 ――― 不審庵(3)
お茶と文学者 -第三十三回-
太宰 治 ――― 不審庵(3)
株式会社「かねも」相談役 角替 茂二
「利休と秀吉」についても書き流している。多くの文学者がとりくんだテーマであるが、太宰が本気で取り組んだらどのような展開になるのだろうか。井上靖や野上弥生子のような正統派的なものでない事だけは確か。
「どうして、お前たちは、利休の事を書かないのだらう。いい小説が出來ると思ふのだが。」
「はぁ。」と私は、あいまいの返辭をする。居候の弟も、話が小説の事になると、いくらか專門家の氣むづかしさを見せる。
「あれは、なかなかの人物だよ。」と兄は、かまはず話をつづける。「さすがの太閤も、いつも一本やられてゐるのだ。柚子味噌の話くらゐは知つてゐるだらう。」
「はあ。」と弟は、いよいよあいまいな返辭をする。
「不勉強の先生だからな。」と兄は、私が何も知らないと見きはめをつけてしまつたらしく、顔をしかめてさう言つた。顔をしかめた時の兄の顔は、ぎよつとするほどこはい。兄は、私をひどく不勉強のちつとも本を讀まない男だと思つてゐるらしく、さうして、それが兄にとつて何よりも不満な點のやうであつた。
これは、しくじつたと居候はまごつき、
「しかし、私は、どうも利休をあまり、好きでないんです。」
と笑ひながら言ふ。
「複雜な男だからな。」
「さうです。わからないところがあるんです。太閤を軽蔑してゐるやうでゐながら、思ひ切つて太閤から離れる事も出來なかつたといふところに、何か、濁りがあるやうに思はれるのです。
「そりや、太閤に魅力があつたからさ。」といつのまにやら機嫌を直して、「人間として、どつちが上か、それはわからない。兩方が必死に闘つたのだ。何から何まで對蹠的な存在だからな。一方は下賤から身を起して、人品あがらず、それこそ猿面の痩せた小男で、學問も何も無くて、そのくせ豪放絢爛たる建築美術を興して桃山時代の榮華を現出させた人だが、一方はかなり裕福の家から出て、かつぷくも堂々たる美丈夫で、學問も充分、そのひとが草の庵のわびの世界で對抗したのだから面白いのだよ。」
「でも、やつぱり利休は秀吉の家來でせう?まあ、茶坊主でせう?勝負はもう、ついてゐるぢやありませんか。」私は、やはり笑ひながら言ふ。
けれども兄は少しも笑はず、
「太閤と利休の関係は、そんなものぢやないよ。利休は、ほとんど諸侯をしのぐ實力を持つてゐたし、また、當時のまあインテリ大名とでもいふべきものは、無學の太閤より風雅の利休をを慕つてゐたのだ。だから太閤も、やきもきせざるを得なかつたのだ。」
男つてへんなものだ、と私は黙つて草をむしりながら考へる。大政治家の秀吉が、風流の點で利休に負けたつて、笑つてすませないものかしら。男といふものは、そんなに、何もかも勝ちつくさなければ氣がすまぬものかしら。また利休だつて、自分の奉公してゐる主人に對して、何もさう一本まゐらせなくともいいぢやないか。どうせ大閣などには、風流の虚無などわかりつこないのだから、飄然と立ち去つて芭蕉などのやうに旅の生活でもしたら、どんなものだらう。それを、太閣から離れるでもなく、またその權力をまんざらきらひでもないらしく、いつも太閣の身邊にゐて、さうして一本まゐらせたり、まゐつたり、兩方必死に鬪つてゐる圖は、どうも私には不透明なもののやうに感ぜられる。太閣が、そんなに魅力のある人物だつたら、いつそ利休が太閣と生死を共にするくらゐの初心(うぶ)な愛情の表現でも見せてくれたらよささうなものだとも思はれる。
「人を感激させてくれるやうな美しい場面がありませんね。」私はまだ若いせゐか、そんな場面の無い小説を書くのは、どうも、おつくうなのである。
兄は笑つた。相變らずあまり、とでも思つたやうである。
「それは無い。お前には、書けさうも無いな。おとなの世界をもつと研究しなさい。なにせ、不勉強な先生だから。」
兄は、あきらめたやうに立ち上り、庭を眺める。私も立つて庭を眺める。
「綺麗になりましたね。」
「ああ。」
私は利休は、ごめんだ。
(全9P160)
太宰の小説にはお茶を沁々とした心境で味わったなどという描写は見当らない。お茶といえば「どこかで、お茶でも喫みましょうよ」といった類が多い。こうした言葉の背景には、昭和のはじめの不景気、所謂る昭和恐慌のさ中、雨後の筍の如く出現した“純喫茶”があったように思われる。以後「お茶でも喫んで」は市民権を獲得、横行闊歩している。ことばが独り歩きが好きな時代、茶が茶にされる事のないように。
乞食学生
「どこかで、お茶でも飲みませう。」私は、熊本君に伺つた。
「さうですねえ。せつかく、お近づきになつたのですし。」と熊本君は、もつたいぶり、「しかし、女の子のいるところは、割愛しませう。けふは、鼻が、こんなに赤いのですから。人間の第一印象は、重大ですよ。僕をはじめて見た女の子なら、僕が生まれた時からこんなに鼻が赤くて、しかもこの後も永久に赤いのだと獨斷するにきまつてゐます。」眞劍に主張してゐる。
私は、ばかばかしく思つたが、懸命に笑いを怺へて
「ぢや、ミルクホールはどうでせう。」
「どこだつて、いいぢやないか。」佐伯は、先刻から意氣銷沈してゐる。まるで無意志の犬のやうに、ぶらりぶらり、だらしない歩き方をして、私たちから少し離れて、ついて來る。「お茶に誘ふなんてのは、お互、早く別れたい時に用ゐる手なんだ。僕は、人から追つぱらはれる前には、いつでもお茶を飮まされた。
「それは、どういふ意味なんですか。」熊本君は、くるりと背後の佐伯に向き直って詰め寄った。「へんな事を言ひ給ふな。僕と、このかたとお茶を飮むのは、お互の親和力の結果です。純粹なんだ。僕たちは、里見八犬傳に於て共鳴し合つたのです。」
往來で喧嘩が、はじまりさうなので、私は閉口した。
(全4P875乞食学生)
短詩
生活。
よい仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつつているのさ
どうにか、なる。
(太宰全2P22葉)
薄茶の風景
僕はその日、すぐに庭から六疊の縁側のほうへまはつてみたのであるが、靑扇は猿股ひとつで縁側にあぐらをかいてゐて、大きい茶碗を股のなかにいれ、それを里芋に似た短い棒でもつて懸命にかきまはしてゐたのだ。なにをしてゐるのですと聲をかけた。
「やあ。薄茶でございますよ。茶をたててゐるのです。こんな暑いときには、これに限るのですよ。一杯いかが?」
僕は靑扇の言葉づかひがどこやら變つてゐるのに氣がついた。けれども、それをいぶかしがつてゐる場合ではなかつた。僕はその茶をのまなければならなかつたのである。靑扇は茶碗をむりやりに僕に持たせて、それから傍に脱ぎ捨ててあつた辨慶格子の小粋なゆかたを坐つたままで素早く着込んだ。僕は縁側に腰をおろし、しかたなく茶をすすつた。のんでみると、ほどよい苦味があつて、なるほどおいしかつたのである。
「どうしてまた。風流ですね。」
「いいえ。おいしいからのむのです。」
(太宰全2P231彼は昔の彼ならず)
…………
終りに中野重治の太宰批判がある、これもお茶とは関係ない蛇足
太宰の死について
死ぬ前に太宰は論争をしている。中野好夫、渡辺一夫などを反駁し、志賀直哉を反駁しているが、それを見ると、そこに闘士のたましいが欠けている。相手を反駁しながらその相手に自分を認めてほしいという弱気な下ごころをあらわしている。のみならず、この弱気な下ごころそのものすら認めてほしいという気持ちを出している。
太宰には才能があつた。美しいものを求める心があつた。しかしそれを百姓のように営々と働いてつくりだす鈍重な根気にかけていた。なぜかといと、彼は、彼の軽蔑していた営利的文壇をどこかで恐れていた。
世間から馬鹿にされることを恐れていた。
(中野重治全12P358)
(つのがえ しげじ)
太宰 治 ――― 不審庵(3)
株式会社「かねも」相談役 角替 茂二
「利休と秀吉」についても書き流している。多くの文学者がとりくんだテーマであるが、太宰が本気で取り組んだらどのような展開になるのだろうか。井上靖や野上弥生子のような正統派的なものでない事だけは確か。
「どうして、お前たちは、利休の事を書かないのだらう。いい小説が出來ると思ふのだが。」
「はぁ。」と私は、あいまいの返辭をする。居候の弟も、話が小説の事になると、いくらか專門家の氣むづかしさを見せる。
「あれは、なかなかの人物だよ。」と兄は、かまはず話をつづける。「さすがの太閤も、いつも一本やられてゐるのだ。柚子味噌の話くらゐは知つてゐるだらう。」
「はあ。」と弟は、いよいよあいまいな返辭をする。
「不勉強の先生だからな。」と兄は、私が何も知らないと見きはめをつけてしまつたらしく、顔をしかめてさう言つた。顔をしかめた時の兄の顔は、ぎよつとするほどこはい。兄は、私をひどく不勉強のちつとも本を讀まない男だと思つてゐるらしく、さうして、それが兄にとつて何よりも不満な點のやうであつた。
これは、しくじつたと居候はまごつき、
「しかし、私は、どうも利休をあまり、好きでないんです。」
と笑ひながら言ふ。
「複雜な男だからな。」
「さうです。わからないところがあるんです。太閤を軽蔑してゐるやうでゐながら、思ひ切つて太閤から離れる事も出來なかつたといふところに、何か、濁りがあるやうに思はれるのです。
「そりや、太閤に魅力があつたからさ。」といつのまにやら機嫌を直して、「人間として、どつちが上か、それはわからない。兩方が必死に闘つたのだ。何から何まで對蹠的な存在だからな。一方は下賤から身を起して、人品あがらず、それこそ猿面の痩せた小男で、學問も何も無くて、そのくせ豪放絢爛たる建築美術を興して桃山時代の榮華を現出させた人だが、一方はかなり裕福の家から出て、かつぷくも堂々たる美丈夫で、學問も充分、そのひとが草の庵のわびの世界で對抗したのだから面白いのだよ。」
「でも、やつぱり利休は秀吉の家來でせう?まあ、茶坊主でせう?勝負はもう、ついてゐるぢやありませんか。」私は、やはり笑ひながら言ふ。
けれども兄は少しも笑はず、
「太閤と利休の関係は、そんなものぢやないよ。利休は、ほとんど諸侯をしのぐ實力を持つてゐたし、また、當時のまあインテリ大名とでもいふべきものは、無學の太閤より風雅の利休をを慕つてゐたのだ。だから太閤も、やきもきせざるを得なかつたのだ。」
男つてへんなものだ、と私は黙つて草をむしりながら考へる。大政治家の秀吉が、風流の點で利休に負けたつて、笑つてすませないものかしら。男といふものは、そんなに、何もかも勝ちつくさなければ氣がすまぬものかしら。また利休だつて、自分の奉公してゐる主人に對して、何もさう一本まゐらせなくともいいぢやないか。どうせ大閣などには、風流の虚無などわかりつこないのだから、飄然と立ち去つて芭蕉などのやうに旅の生活でもしたら、どんなものだらう。それを、太閣から離れるでもなく、またその權力をまんざらきらひでもないらしく、いつも太閣の身邊にゐて、さうして一本まゐらせたり、まゐつたり、兩方必死に鬪つてゐる圖は、どうも私には不透明なもののやうに感ぜられる。太閣が、そんなに魅力のある人物だつたら、いつそ利休が太閣と生死を共にするくらゐの初心(うぶ)な愛情の表現でも見せてくれたらよささうなものだとも思はれる。
「人を感激させてくれるやうな美しい場面がありませんね。」私はまだ若いせゐか、そんな場面の無い小説を書くのは、どうも、おつくうなのである。
兄は笑つた。相變らずあまり、とでも思つたやうである。
「それは無い。お前には、書けさうも無いな。おとなの世界をもつと研究しなさい。なにせ、不勉強な先生だから。」
兄は、あきらめたやうに立ち上り、庭を眺める。私も立つて庭を眺める。
「綺麗になりましたね。」
「ああ。」
私は利休は、ごめんだ。
(全9P160)
太宰の小説にはお茶を沁々とした心境で味わったなどという描写は見当らない。お茶といえば「どこかで、お茶でも喫みましょうよ」といった類が多い。こうした言葉の背景には、昭和のはじめの不景気、所謂る昭和恐慌のさ中、雨後の筍の如く出現した“純喫茶”があったように思われる。以後「お茶でも喫んで」は市民権を獲得、横行闊歩している。ことばが独り歩きが好きな時代、茶が茶にされる事のないように。
乞食学生
「どこかで、お茶でも飲みませう。」私は、熊本君に伺つた。
「さうですねえ。せつかく、お近づきになつたのですし。」と熊本君は、もつたいぶり、「しかし、女の子のいるところは、割愛しませう。けふは、鼻が、こんなに赤いのですから。人間の第一印象は、重大ですよ。僕をはじめて見た女の子なら、僕が生まれた時からこんなに鼻が赤くて、しかもこの後も永久に赤いのだと獨斷するにきまつてゐます。」眞劍に主張してゐる。
私は、ばかばかしく思つたが、懸命に笑いを怺へて
「ぢや、ミルクホールはどうでせう。」
「どこだつて、いいぢやないか。」佐伯は、先刻から意氣銷沈してゐる。まるで無意志の犬のやうに、ぶらりぶらり、だらしない歩き方をして、私たちから少し離れて、ついて來る。「お茶に誘ふなんてのは、お互、早く別れたい時に用ゐる手なんだ。僕は、人から追つぱらはれる前には、いつでもお茶を飮まされた。
「それは、どういふ意味なんですか。」熊本君は、くるりと背後の佐伯に向き直って詰め寄った。「へんな事を言ひ給ふな。僕と、このかたとお茶を飮むのは、お互の親和力の結果です。純粹なんだ。僕たちは、里見八犬傳に於て共鳴し合つたのです。」
往來で喧嘩が、はじまりさうなので、私は閉口した。
(全4P875乞食学生)
短詩
生活。
よい仕事をしたあとで
一杯のお茶をすする
お茶のあぶくに
きれいな私の顔が
いくつもいくつも
うつつているのさ
どうにか、なる。
(太宰全2P22葉)
薄茶の風景
僕はその日、すぐに庭から六疊の縁側のほうへまはつてみたのであるが、靑扇は猿股ひとつで縁側にあぐらをかいてゐて、大きい茶碗を股のなかにいれ、それを里芋に似た短い棒でもつて懸命にかきまはしてゐたのだ。なにをしてゐるのですと聲をかけた。
「やあ。薄茶でございますよ。茶をたててゐるのです。こんな暑いときには、これに限るのですよ。一杯いかが?」
僕は靑扇の言葉づかひがどこやら變つてゐるのに氣がついた。けれども、それをいぶかしがつてゐる場合ではなかつた。僕はその茶をのまなければならなかつたのである。靑扇は茶碗をむりやりに僕に持たせて、それから傍に脱ぎ捨ててあつた辨慶格子の小粋なゆかたを坐つたままで素早く着込んだ。僕は縁側に腰をおろし、しかたなく茶をすすつた。のんでみると、ほどよい苦味があつて、なるほどおいしかつたのである。
「どうしてまた。風流ですね。」
「いいえ。おいしいからのむのです。」
(太宰全2P231彼は昔の彼ならず)
…………
終りに中野重治の太宰批判がある、これもお茶とは関係ない蛇足
太宰の死について
死ぬ前に太宰は論争をしている。中野好夫、渡辺一夫などを反駁し、志賀直哉を反駁しているが、それを見ると、そこに闘士のたましいが欠けている。相手を反駁しながらその相手に自分を認めてほしいという弱気な下ごころをあらわしている。のみならず、この弱気な下ごころそのものすら認めてほしいという気持ちを出している。
太宰には才能があつた。美しいものを求める心があつた。しかしそれを百姓のように営々と働いてつくりだす鈍重な根気にかけていた。なぜかといと、彼は、彼の軽蔑していた営利的文壇をどこかで恐れていた。
世間から馬鹿にされることを恐れていた。
(中野重治全12P358)
(つのがえ しげじ)
2012年01月31日 Posted by 茶の蔵かねも at 15:16 │Comments(0) │お茶と文学
御林茶業組合の杉本和久さんより、メールをいただきました。
こんにちは、杉本和久です。
我が家の隣で改植の重機作業が始まりました。
オペレーターは茶農家の主人。
農家の気持ちが充分分かってるから(だって農家ですから)安心です。
あとあと栽培管理がしやすいように地形を整えてくれます。
バックホウは重量12トンほどあります。
自重があり、力(りき)があって深く耕せるので、
このくらいの重機なら理想的。
また、アームが長く遠くまで届くので整地作業もきれいにこなせます。
朝のバックホウ。まだエンジンに火が入っていません。

土を移動しています。傾斜をゆるくしています。
ところで、寒いですね。冬は寒いのがいいのです。
おいしい新茶が期待できますよ、きっと。
低温下では茶樹は呼吸活動を控える
(エネルギーを消費しない=蓄えたデンプンを温存できる=新芽にそれを使える)
ので深い休眠は好ましいのです。受け売り!
では今日はこのへんで失礼します。
2012.1.27 杉本和久
2012年01月28日 Posted by 茶の蔵かねも at 10:33 │Comments(0) │生産家より
☆★☆新商品のご案内☆★☆
かねもオリジナル飴が販売になりました

三種類ありますのでご案内致します

①茶飴

個々包装 50g(14個~15粒) ¥210
かねもの自園特別栽培茶(有機肥料・農薬無散布)を使用しています。
お茶の香りがお口の中に広がります。
甘すぎず、すっきりとした味わいです。
ご自宅用はもちろんのこと、
掛川のちょっとしたお土産にもおススメです

②ハッカ飴

個々包装 50g(14~15粒) ¥210
お口の中に、スースーとしたさわやかな
ハッカが香ります。
気分をリフレッシュさせたい時や
旅行
のお供におススメです

③和三盆糖黒みつ飴

個々包装 50g(14個~15粒) ¥367
日本特産砂糖きび黒蜜を使用しております。
上品な甘さをお楽しみください

ただ今店舗のみで販売しておりますが、
お電話
での通信販売でもご注文いただけます
インターネット
からのご購入をご希望のお客様は
備考欄にご希望の商品と数量をご記載下さい

どうぞよろしくお願いいたします

三種類ありますのでご案内致します


①茶飴
個々包装 50g(14個~15粒) ¥210
かねもの自園特別栽培茶(有機肥料・農薬無散布)を使用しています。
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ご自宅用はもちろんのこと、
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②ハッカ飴
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お口の中に、スースーとしたさわやかな
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インターネット
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どうぞよろしくお願いいたします

2012年01月19日 Posted by 茶の蔵かねも at 17:35 │Comments(0) │商品ご紹介
御林茶業組合の杉本和久さんよりお写真をお送りいただきました。
杉本和久です。
二十四年初回のメールが雪景色とはね。
この風景のなか、立ち寄った人が
「まるで水墨画ですね。」という表現を
してくれました。

ウラからの我が家

雪でけむる「やぶきた」

これは「つゆひかり」

「あさつゆ」の向こうに粟ヶ岳 茶文字は下半分

御林のササ山から望む中山(佐夜鹿)

粟ヶ岳 だいぶ澄んできました。「茶」が読めます。
2012.1.18 19:54 杉本和久
二十四年初回のメールが雪景色とはね。
この風景のなか、立ち寄った人が
「まるで水墨画ですね。」という表現を
してくれました。

ウラからの我が家

雪でけむる「やぶきた」

これは「つゆひかり」

「あさつゆ」の向こうに粟ヶ岳 茶文字は下半分

御林のササ山から望む中山(佐夜鹿)

粟ヶ岳 だいぶ澄んできました。「茶」が読めます。
2012.1.18 19:54 杉本和久








