茶の蔵 かねも
*9月20日は敬老の日です*
掛川では昨日の朝は強い風と雨が降っていましたが、夕方くらいからは晴れ模様に
夕焼けがきれいというより、こわく思ってしまうようなまっかな空でした。
そして今日は朝から雨
とても涼しく、過ごしやすいです

これから秋らしい気候になっていくのでしょうか
さて、9月20日(月)は「敬老の日」です

こちらの お茶・和紙缶・御干菓子のセットもおすすめです。

お茶代 〇〇円
干菓子(箱) 683円
和紙缶(100g) 420円
お箱代 210円
例えばお茶を若葉(100gアルミ袋 630円)にすると、合計で1,943円となります。
和紙缶はこちらの中から選んでいただけます。

↑先日は写真を横に掲載することができなかったのですが、やり方を教えて頂きできるようになりました
私も日々進化しています!!

(おおげさです)
御干菓子は3種類の中からお選びください。
御干菓子について詳しくはこちらにて
過去の日記でご紹介しています
そしてもうひとつ
面白い商品がありますのでご紹介します
こちら

有田焼 健康湯呑
お茶を飲むたびに突起が手のひらのツボを刺激し、血行を促進させ健康増進に効果があります。
また、突起が持ち手を滑りにくくし、熱さも伝わりにくいので嬉しいお湯呑です。
絵柄には無病を例え六瓢箪(むびょう)の絵が描かれています。
(六つのひょうたんですね
)
ご自分で使うにもプレゼントするにも嬉しい一品です
ペアで3,990円(税込)です。
全国発送も承っております

そして、9月22日は「仲秋の名月」だそうです


22日は晴れるといいですね
23日は「秋分の日」
・・・その頃にはどうか秋らしくなってくれていることを願います・・・・・・

at 2010.9.9(thu)

夕焼けがきれいというより、こわく思ってしまうようなまっかな空でした。
そして今日は朝から雨
とても涼しく、過ごしやすいです


これから秋らしい気候になっていくのでしょうか

さて、9月20日(月)は「敬老の日」です


こちらの お茶・和紙缶・御干菓子のセットもおすすめです。

お茶代 〇〇円
干菓子(箱) 683円
和紙缶(100g) 420円
お箱代 210円
例えばお茶を若葉(100gアルミ袋 630円)にすると、合計で1,943円となります。
和紙缶はこちらの中から選んでいただけます。

↑先日は写真を横に掲載することができなかったのですが、やり方を教えて頂きできるようになりました

私も日々進化しています!!


(おおげさです)
御干菓子は3種類の中からお選びください。
御干菓子について詳しくはこちらにて
過去の日記でご紹介しています
そしてもうひとつ
面白い商品がありますのでご紹介します

こちら

有田焼 健康湯呑
お茶を飲むたびに突起が手のひらのツボを刺激し、血行を促進させ健康増進に効果があります。
また、突起が持ち手を滑りにくくし、熱さも伝わりにくいので嬉しいお湯呑です。
絵柄には無病を例え六瓢箪(むびょう)の絵が描かれています。
(六つのひょうたんですね
)ご自分で使うにもプレゼントするにも嬉しい一品です

ペアで3,990円(税込)です。
全国発送も承っております


そして、9月22日は「仲秋の名月」だそうです


22日は晴れるといいですね

23日は「秋分の日」
・・・その頃にはどうか秋らしくなってくれていることを願います・・・・・・


at 2010.9.9(thu)
2010年09月09日 Posted by 茶の蔵かねも at 12:40 │Comments(0) │商品ご紹介
9月3日の有機栽培茶園
茶畑のある風景
8月某日、かねも工場の社員さんが、近所の茶畑を撮影した写真をもってきてくれました
暑い中ご苦労様でした
青い空と、お茶の緑がとてもきれいです



今年の夏はとても暑かったです
9月に入ったというのにこの暑さ・・・
秋が待ち遠しいです

暑い中ご苦労様でした

青い空と、お茶の緑がとてもきれいです

今年の夏はとても暑かったです

9月に入ったというのにこの暑さ・・・
秋が待ち遠しいです
2010年09月04日 Posted by 茶の蔵かねも at 13:11 │Comments(0) │四季の表情
*セット商品*その1
こんにちは
9月に入りました。
まだまだ暑い毎日ですね

今日かねもの庭の木のところでツクツクボウシが鳴いているのが聞こえてきました。
最初は『まだセミが鳴いてるの!?
』と思ってしまいましたが、調べてみたらツクツクボウシは晩夏から初秋のセミだそうで安心しました
さて、かねもでは贈答用にお茶の二缶セットが人気ですが、お茶だけでなくお菓子と
組み合わせることもできます。
これからこちらのブログでいろいろなセットのご紹介をしていきたいと思います

まずは、人気の煎茶チョコレートと口福(缶詰)のセット

お時間を頂き、このように黄色の紙をお詰めすることもできます

この場合のセットの合計は・・・
お茶(缶詰)代 〇〇円
チョコレート(小)代 315円(税込)
お箱代 210円(税込)
の合計になります。
写真のセットはお茶が「口福(缶)1,680円」なので、
合計で2,205円(税込)となります
お好みのお茶をお選びください
次に・・・・・・
「このセットに和紙缶も一緒にプレゼントしたいなぁ
」という場合です
まずはこちらで和紙缶を選んでいただきます

かわいらしいものや、落ち着いたものなど沢山のデザインがあります
店頭に並んでいないものもありますので、店員までお気軽にお申し付け下さい
迷ってしまいますが・・・(*u_u)
このピンクの桜柄にしましょう
(*^-^)b 

お店で販売している平袋ですと、和紙缶の中にいれることが出来ないので・・・
こちらのアルミ袋にします


写真は、缶詰(上)・平袋(左下)・アルミ袋(右下)
形は全然違いますが、すべて同じ100g入りなんですよ
※アルミ袋はお店にご用意が無いものがございます。
10分~15分くらいお時間を頂き、工場にてお詰めすることができます。
先ほど選んだ和紙缶に口福のアルミ袋をいれて、
チョコレートと和紙缶を箱につめて完成です

こちらのしおりを一緒にいれさせていただきます

このようにページをめくるとかねも自園のご紹介など
裏面には「美味しいお茶の召し上がり方」がイラストつきで紹介されています

この場合のセットの合計金額は・・・
お茶(袋)代 〇〇円
チョコレート(小)代 315円(税込)
和紙缶(100gサイズ) 420円(税込)
お箱代 210円(税込)
の合計になります。
写真のセットはお茶が「口福(アルミ袋)1,575円」なので、
合計で2,520円(税込)となります
ほかにもいろいろな組み合わせのセットが出来ます

またご紹介させていただきますね

そして・・・お茶とかねも全く関係ないことで申し訳ないのですが・・・・・・
今夜21時からの「ケンミンSHOW」という番組で静岡県が紹介されるそうです。
先週前編をやっていたそうで、私は見逃してしまい・・・友人やかねものほかの社員さんに話を聞いて内容を知りました
今夜は後編だそうなのでばっちりチェックしようと思います

お茶が出てくると嬉しいです

9月に入りました。
まだまだ暑い毎日ですね


今日かねもの庭の木のところでツクツクボウシが鳴いているのが聞こえてきました。
最初は『まだセミが鳴いてるの!?
』と思ってしまいましたが、調べてみたらツクツクボウシは晩夏から初秋のセミだそうで安心しました
さて、かねもでは贈答用にお茶の二缶セットが人気ですが、お茶だけでなくお菓子と
組み合わせることもできます。
これからこちらのブログでいろいろなセットのご紹介をしていきたいと思います


まずは、人気の煎茶チョコレートと口福(缶詰)のセット


お時間を頂き、このように黄色の紙をお詰めすることもできます


この場合のセットの合計は・・・
お茶(缶詰)代 〇〇円
チョコレート(小)代 315円(税込)
お箱代 210円(税込)
の合計になります。
写真のセットはお茶が「口福(缶)1,680円」なので、
合計で2,205円(税込)となります

お好みのお茶をお選びください

次に・・・・・・
「このセットに和紙缶も一緒にプレゼントしたいなぁ
」という場合です
まずはこちらで和紙缶を選んでいただきます

かわいらしいものや、落ち着いたものなど沢山のデザインがあります

店頭に並んでいないものもありますので、店員までお気軽にお申し付け下さい
迷ってしまいますが・・・(*u_u)
このピンクの桜柄にしましょう
(*^-^)b 

お店で販売している平袋ですと、和紙缶の中にいれることが出来ないので・・・

こちらのアルミ袋にします



写真は、缶詰(上)・平袋(左下)・アルミ袋(右下)
形は全然違いますが、すべて同じ100g入りなんですよ

※アルミ袋はお店にご用意が無いものがございます。
10分~15分くらいお時間を頂き、工場にてお詰めすることができます。
先ほど選んだ和紙缶に口福のアルミ袋をいれて、
チョコレートと和紙缶を箱につめて完成です


こちらのしおりを一緒にいれさせていただきます


このようにページをめくるとかねも自園のご紹介など
裏面には「美味しいお茶の召し上がり方」がイラストつきで紹介されています


この場合のセットの合計金額は・・・
お茶(袋)代 〇〇円
チョコレート(小)代 315円(税込)
和紙缶(100gサイズ) 420円(税込)
お箱代 210円(税込)
の合計になります。
写真のセットはお茶が「口福(アルミ袋)1,575円」なので、
合計で2,520円(税込)となります

ほかにもいろいろな組み合わせのセットが出来ます


またご紹介させていただきますね


そして・・・お茶とかねも全く関係ないことで申し訳ないのですが・・・・・・
今夜21時からの「ケンミンSHOW」という番組で静岡県が紹介されるそうです。
先週前編をやっていたそうで、私は見逃してしまい・・・友人やかねものほかの社員さんに話を聞いて内容を知りました
今夜は後編だそうなのでばっちりチェックしようと思います


お茶が出てくると嬉しいです

2010年09月02日 Posted by 茶の蔵かねも at 17:01 │Comments(0) │商品ご紹介
あさつゆ生産家 杉本和久さんより
こんにちは、御林茶業組合 杉本和久です。茶園の近況をお知らせします。

チャノホソガ
茶葉の裏に産みつけられた卵が幼虫となり、写真のように茶葉の先端から巻きます。その後、蛹、成虫となって出ていきます。通称「サンカクハマキ」といいます。

チャハマキ
チャノホソガ同様、ふ化した幼虫は、葉を上下2枚つづり合わせて内側から表皮を残して食害する。減収となります。多発すると次の茶期の発芽、生育に影響を与えます。

シャクトリムシ
この時期、茶園には種々の害虫が生息しており、おいしい茶ができる茶品種には害虫も好んで寄ってきます。ムシャムシャと新芽を食べています。ふ化幼虫は2㎜程度、成長すると50㎜程度になります。

クワシロカイガラムシ
少し油断していたら、「クワシロカイガラムシ」が発生、枝枯れになりました。一生を同じ場所で茶の木に寄生する。



長く伸びた芽を刈り捨てました。こうなります。というか、こうしています。
生産家の杉本さんの便りです。
茶園の管理に苦心している様子が伺えます。
かねも

チャノホソガ
茶葉の裏に産みつけられた卵が幼虫となり、写真のように茶葉の先端から巻きます。その後、蛹、成虫となって出ていきます。通称「サンカクハマキ」といいます。

チャハマキ
チャノホソガ同様、ふ化した幼虫は、葉を上下2枚つづり合わせて内側から表皮を残して食害する。減収となります。多発すると次の茶期の発芽、生育に影響を与えます。

シャクトリムシ
この時期、茶園には種々の害虫が生息しており、おいしい茶ができる茶品種には害虫も好んで寄ってきます。ムシャムシャと新芽を食べています。ふ化幼虫は2㎜程度、成長すると50㎜程度になります。

クワシロカイガラムシ
少し油断していたら、「クワシロカイガラムシ」が発生、枝枯れになりました。一生を同じ場所で茶の木に寄生する。



長く伸びた芽を刈り捨てました。こうなります。というか、こうしています。
生産家の杉本さんの便りです。
茶園の管理に苦心している様子が伺えます。
かねも
2010年09月01日 Posted by 茶の蔵かねも at 10:47 │Comments(0) │生産家より
第二十二回 石川淳(夷齊)―― 草人木の「ワビ」
――― 觀念上のワビ
ところで、ワビといへども、ひとたび名器をえたとすれば、もはやワビではなくなるだらうか。この形式論理は實際にはワビには適用されないやうである。といふのは、どうしても名器とは綠の無いやうなものがワビだからである。すでにワビは「道具なし」といふ。では「道具無し」とはなにか。じつに露骨に物的貧困の謂であった。茶の世界も存外殺風景なものである。すると、ワビは社會を構成する階級に關係させてこれを考えるべきだらうか。しかし、茶の世界の限りでは、われわれの國土の不毛に關係させてこれを考へたはうが妥當のたうにおもふ。耕して山頂に到つても國土なほ物産にとぼしいといふことは、一般に風流人の生活がいつも材料に於てまづしいといふことの、おそらく坺差しならぬ原因である。唐人の詩句に鶏犬圖書共一船といふ。これは貧棒はどうも和朝の士人貧棒とは位取がちだふだらう。おもへば、茶についてのすべての觀念は道具に於いて發見されたものであつた。しかるに、サビとか幽玄とかいふ觀念とならんで、ワビといふ觀念がある。これはかならずや「道具なし」に於て發明された觀念にちがひない。すなはち知る、觀念上のワビとは物的貧困の形而上學、貧棒人の風流哲學であった。材料の無い袖をふつて精神の臺所をまかなはうとすると、あはれむべし、かういふ無理をすることになる。せつかくの無理くめんながら、それに依つて精神の臺所がゆたかになつたといふ形迹は見えない。精神と生活とを通じて、この風流哲學はあきらかに運動の邪魔であつた。ワビ觀念が増長すると、みづから奥ゆかしいなんぞとうぬぼれかねないだらう。じつは現實に比して底が淺いといふことにほかならない。すべての觀念をとりはらつても、貧困は現實としてある。精神と生活との發明は、觀念からではなくて、現實から打出さなくてはならない。スリキリワビ。これは古語であるか。いかにせむ、今日われわれの生活が經驗しつつある現實は依然としてスリキリワビといふに似る。そして、この現實をふたたび觀念のはうに戸まどひさせて行くやうな茶席の設備も、今日おなじくすり切れてゐるらしい。なにがしあはせか知れないといふことである。
今日では、いふまでもないことだが、現實の世の中の秩序がとうにつてゐるのだから、茶席の秩序は現實とは分離的にしか成立しえない。その禮法のごときは、いや、その道具をあつかふ手つきなんぞは、どこの世界に持ち出しても完全に意味が無い。禮法ははなはだ勝負事のルールに似てゐる。かならずしも一つの茶埦をおほぜいでのみ廻すことがきたならしいのではなくて、不潔はこの禮法に搦んでゐるのだらう。といふのは、このやうな仕掛では、美的生活者がみづからたしかめるべき孤獨はよごれるほかないからである。江戸の中ごろに、文人墨客の間に煎茶の風がおこつたのは、舊來の茶席の秩序を、すくなくともその禮法を感覚的に拒否したといふことになるかも知れない。すでにして、茶についてのすべての觀念、茶道と呼ばれる思想なんぞは完全にほろびてゐる。これは、衛生學的に然るべきことであった。しかし、武士道はほろびても刀は骨董として残るやうに、茶道はほろびても道具は残り、建築は残り、茶といふ飲料は残つてゐる。茶の世界が分裂して、かつて世の中を構成したそれぞれの要素がおのれの位置にもどったやうなものである。
――― 茶埦の美
今日、茶といふ飲料はコーヒー、ココア、コカコラなんぞとまつたく同様に、個人の味覺の好みに依つてしか存在の意味をみとめられない。われわれは市中の瀬戸物屋のころがつてゐる「今燒」の茶埦を持つて、美學にも哲學にも気をつかふにおよばずに、椅子にかけて薄茶をのむことができる。またそのおなじ薄茶の茶埦にメシを盛つて食ふこともできる。いいあんばいに、この操作には何の禮法の典型もありえない。そしてわれわれはまたコーヒーをのみながら、かつて茶席の名器であつたころの、からの茶埦を手にとつて見ることができる。われわれはこの古い茶碗になにかの飲料なり食物なりを入れることは考へないだらう。いや、なにかを入れてはきたならしいやうに感ずるだらう。それでも、茶碗の貫祿があるとすれば、しばらくわれわれのてのひらの上にとどまつてゆるがない。このとき、われわれはそこに何を見てゐるのか。すなはち、茶埦の於てうつくしいものを見ているいといふことにほかならない。茶碗はむかしの茶席の雰圍氣から坺け出して、われわれの手の中に、直接の鑑賞に堪へるやうなところに物として置かれたといふことになる。ただその茶埦がいかにうつくしいものであつたとしても、われわれはそこからわれわれの美的生活をつくり出すといふやうな方向には考へては行かないだらう。けだし美には典型といふものは無い。したがつて美的生活には類型といふものはありえない。われわれの美的生活の形式は、もし欲するのならば、精神がまた別様にこれを編み出さなくてはならぬものである。手の中の茶埦に於て、見つけたと思つた美は、茶埦が手から離れたとき一瞬にして消えるだらう。不幸にして、それは茶埦といふ物が消えたといふことにひとしい。一般にそれがうつくしいものの宿命である。いひかへれば、一般にうつくしいものはいかなる美的觀念をも受け付けないほどに強烈ないのちをもつといふことである。
――― ワビ哲学
たまたまロージェ・マルタン・デュ・ガールのNotes sur Andere Gide.1913-1951の中に左の一節を見る。
○ジイドはわたしにつぎのビュフォンのペーヂを讀む。「情熱に於ける節制、快樂に於ける控へ目としらふとが生命の持讀を資けるといふこともありうるのかも知れない。しかし、これがどうも眉唾物である。肉體がそのすべての力を使ふといふこと、この消費しうるもののすべてを消費するといふことが、おそらく必要である。」もつてつぎのモンテーニュのことばに比すべきか。「わたしの出逢ひうる快樂の最小の機會に至るまで、わたしはそれを手でつかむ。」
われわれがうつくしい茶埦を手の中にとつたとき、もしそこに人生の情熱の瞬間があつたとすればわれわれもまた全力をもつて茶碗とともにその機會を手でつかまなくてはならない。それがわれわれの今日に生きてゐるといふことの具體的意味である。もしこの具體的意味を性格に機械で量り數式で示すことができるとすれば、すくなくとも近似的に正確にことばであらはすことをうるとすれば、われわれは必至にさうしなくてはならぬだらうそれは茶埦が手の中にあるといふことを肉體のエネルギーをもつてたしかめるといふ操作に似る。茶碗についてのすべての觀念は、右の正確なるべき表現の中にあるだらう。生活の具體的意味には、曖昧なものはありえない。むかしの茶湯者もやはり手の中に茶埦をたしかめ、また生活の具體的意味をそこにつかんだのだらう。そして、茶湯者の肉體のエネルギーがそそぎつくされたさきに、茶の世界はひらかれたのかも知れない。しかし、ワビの茶湯者の生活には觀念上のワビといふ曖昧なものがどこかしらしのびこんで来たのか。もしや、ワビの茶湯者は情熱の於て筯制的であり、茶碗とともに快樂の最小の機會を手でつかむことにはあまりに控へ目であったといふやうな事情がひそんでゐるのだらうか。あるひは、ワビ哲學はワビの茶湯者がみづからたしかめえた生活の具體的意味をみづから表現したものではなくて、ワビにあらざる道具持の茶湯者がおせつかいにも「下賤」の「道具なしの茶湯」について恣意に案出したものであらうか。すべての後世の憶測は後世の生活にとつて眉唾物である。すなわち、すべての後世のワビ哲學談義は茶の歴史にとって眉唾物である。今日製作のカコヒなんぞにをさまつて、茶といふ飲料をがぶがぶのんでみても、ワビについては何の答えも出て來ないだらう。われわれはもつと廣い場所に於て、手の中につかまへた茶埦といふ道具とあらためて相談をぶつほかない。
(見出しと傍線、著者)
――― 小説「白猫」の中
花笠武吉の演説
つまり、利休には無かつたものが遠州には加はつてゐるといふことです。ここには、山樂的なもの、派手であるものが「寂」とともに在るのです。このことはたれがみても一目瞭然でせうが、われわれは今この寂にして派手であるものを日本民衆の在り方としてつかみます。
遠州の茶道とは民衆の美學にほかなりませんでした。桂離宮は遠州の美意識を形態に組み上げたものでした。
しかるに、その遠州の茶道ははなはだ短命にして終りました。
ところで茶澁を嘗めてゐたこの人物のことを、乞食宗旦とはうまい渾名を附けました。やがて、この乞食根性は成上がり者の金鍔趣味と結託して、茶道商蕒の大繁昌を招くに至りました。民衆が茶道に洟も引つかけなくなつたのは理の當然です。
かくて、かの寂にして派手であるものはいつたいどうなつたのでせう。封建的なものの支配下にあつては、それは民衆の精神とともに窒息せざれるをえなかったのでせうか。たしかに芭蕉の風雅は貧棒くさい鹽垂衣ではなく、婉治なるものをほのめかせてゐます。そして、ひとり蕉風に限らず、一般に陰にひそむのと陽にうごくものとを含蓄してゐる俳諧が江戸期に於ける唯一の民衆の歌であつたといふ事實はいかなる歴史的意味をもつてゐるのでせうか。遠州の茶道といふ方面で堰きとめられた民衆の精神がこちらの側でもやもやするほかなかつたと解したなら牽強附會の説でせうか。いや、遠州的なものは俳諧のはうにほそぼそと繼承されたのだと、あへていひ切つてしまひませう。だが、芭蕉詩の壇上には能無臺のごとくさらに「幽玄」といふ曖昧なものがよこたはつてゐます。こんな不健康な觀念はかつて遠州にはありませんでした。またこんな斷停止は利休の突きつめた「寂」の中にもないはずです。
では「幽玄」とは・・・・・おそらく何かを美化してゐるであらうこのことばについて、われわれが今時分考へる必要はないのです。といふのは、その何かがどんなものか、いかにありがたさうな解釋がならべられたとしても、じつはそんなものがどこにもありつこないことを、民衆の叡智がとうに見破つてゐるのですから。しかも、この奇妙なことばが究極の境地として現實の中に假定されねばならなかつた事情は何に胚胎するのでせう。ただわれわれが承知していることは、このことばに封建的なもののにほひが沁みてゐて、民衆の精神にとつて餘計なお荷物だといふことです。「幽玄」が幅をとつただけ餘計に、遠州的なものは量を減らされ、力を弱められて、俳諧の中に押し込まれたのです。われわれは一箇の茶埦に於て、寂であるものを手に取つて見ることができ、同時にそのやうな作者の在り方を感得することができます。派手であるものについても同様です。しかし、幽玄である在り方とか、幽玄である作品とか、そんなへんなものがどこにあるのです。かかる無用物を案出したのはおそらく封建的なものの政治で、決して民衆の浪漫的精神ではありません。たとえば芭蕉の「古池」の句のごとき、それが名句であろうとなかろうと、芭蕉の寂である在り方として、われわれはすなほに享受しつつ、たしかに結構とは思はれぬこの句を、存外捨てきれずにゐるのです。しかるに、もしこの句のほうからここにこそ「幽玄」が鎭座するのだと説きつけて來たとしたらば、それはたちまちわれわれにとつて手のつけられぬばかばかしい駄句でしかないでせう。一般に、俳諧に於てわれわれを感動せしめるものの根源には、かならず遠州的なものが、すくなくとも寂と派手とに再分裂あっせられた遠州的なものが再分裂されてゐるのです。
クラウス博士の演説
――― クラウス博士とはブルーノ・タウトがモデルか(野口武彦指摘)
(クラウス博士は微笑をたたへて、ドイツ語ではなし出した。)・・・・・・・それは花笠氏がもつぱら彈刻に努められた「幽玄」のことです。・・・・・・・・・何を申し上げるかといふと、かうです。一箇の茶埦に於てわたくしはその美的價値に手をふれることができます。だが、それが寂であるか派手であるか、茶碗の味、作者の在り方からつねに若干の間隔をおいたところにわたくしはをるのです。向うがぴったりとこないのではなく、こちらが同化して行かないといふ恰好です。すくなくとも、日本の茶碗に於る限りわたくしはいつまでたつても諸君と同じ度合いにまで入り込んで行けないでせう。・・・・・・・・・・幽玄については・・・・・・花笠氏に依ると、民衆の叡智は頭からそれを否定するのでさうが、・・・・・・・
幽玄については、もしそれを理解すべく取りかかつたとすれば、異邦人であるわたくしもかならずや諸君とまつたくおなじく圓滿に理解してしまふであらうと思はれます。すなわち究極に於て、わたくしにとつては、宙にふわふわしてゐるはずの幽玄は案外つかへやすいにも係らず、手中にある茶碗の寂はどうにも至りがたいものだといふ結果になります。これもまた、やはり遠州にふれて、感じたことの一つですが・・・・・
わたくしは遠州の棚を見ました。何よりも、わたくしを深く打つたのはこの棚でした。おそらく、そこには花笠氏のいはゆる寂にして派手である在り方が示現されてゐるのでせう。しかし、わたくしを打つたといふのはそんな人間存在に關する底のものではありませんでした。じつにたぐひなくみごとな空間の切り取り方を、わたくしはそこに見たのです。伽藍、塔、軍艦、飛行機その他の構造に於て、われわれの眼前に物質と格闘する精神の姿がしばしば展開されます。そしてわたくしみづからが身を置き、今後も置くであらうところはその格闘の場にほかなりません。しかるに、遠州の棚にあつては格闘がまつたく見えないのです。
・・・・・・・・
物質そのものが、具體的には柔とか紫檀とかいふ材料がもう見えなくなつてゐて、あるものはただ空間を切り取った線のみ、いはば精神のかたちばかりです。精神の揺るぎ座、悠久者の姿を、わたくしはそこに見ました。そしてもはやぴつたりとか同化とかいつてゐる段ではなく、あたかも自分の立場、格闘の場所、批評精神などをもろともに身に附けたまま、わたくしはすらすらとそこに流れこむほかない鹽梅でした。永遠なもの、時間がなくなつたもの・・・・・・すでに時間が無いものに向つて、われわれはいかなることばを發することができるでせう。そのとき、わたくしはふと「幽玄」とはかかるとき發すべきことばではないかと思つたのです。
・・・・・・・
お國のひとびとが幽玄に於て何を解されるか、わたくしは知りません。また、かくてわたくしが幽玄を解しえたとも申しません。ただ花笠氏にして、どこに根據をもたれるにしろ、いま幽玄が無いと主張されるならば、この遠州の棚を象徴とするところのものの名は何であるか、うかがひたく存ずるのです、もちろん、聰明なる花笠氏はそのへんのことは百も承知で、しかるうへに創見を示されたのであらうと察せられますが・・・・・そのまへに、あるひは諸君はわたくしに對して、かの至りがたき茶碗の寂の上に、また桂離官につき民衆的といつたことばの上に、ここでふたたび説明を立ちもどらせるやう要求されるかも知れません。しかし・・・・・・ (つづく)
(つのがえしげじ)
ところで、ワビといへども、ひとたび名器をえたとすれば、もはやワビではなくなるだらうか。この形式論理は實際にはワビには適用されないやうである。といふのは、どうしても名器とは綠の無いやうなものがワビだからである。すでにワビは「道具なし」といふ。では「道具無し」とはなにか。じつに露骨に物的貧困の謂であった。茶の世界も存外殺風景なものである。すると、ワビは社會を構成する階級に關係させてこれを考えるべきだらうか。しかし、茶の世界の限りでは、われわれの國土の不毛に關係させてこれを考へたはうが妥當のたうにおもふ。耕して山頂に到つても國土なほ物産にとぼしいといふことは、一般に風流人の生活がいつも材料に於てまづしいといふことの、おそらく坺差しならぬ原因である。唐人の詩句に鶏犬圖書共一船といふ。これは貧棒はどうも和朝の士人貧棒とは位取がちだふだらう。おもへば、茶についてのすべての觀念は道具に於いて發見されたものであつた。しかるに、サビとか幽玄とかいふ觀念とならんで、ワビといふ觀念がある。これはかならずや「道具なし」に於て發明された觀念にちがひない。すなはち知る、觀念上のワビとは物的貧困の形而上學、貧棒人の風流哲學であった。材料の無い袖をふつて精神の臺所をまかなはうとすると、あはれむべし、かういふ無理をすることになる。せつかくの無理くめんながら、それに依つて精神の臺所がゆたかになつたといふ形迹は見えない。精神と生活とを通じて、この風流哲學はあきらかに運動の邪魔であつた。ワビ觀念が増長すると、みづから奥ゆかしいなんぞとうぬぼれかねないだらう。じつは現實に比して底が淺いといふことにほかならない。すべての觀念をとりはらつても、貧困は現實としてある。精神と生活との發明は、觀念からではなくて、現實から打出さなくてはならない。スリキリワビ。これは古語であるか。いかにせむ、今日われわれの生活が經驗しつつある現實は依然としてスリキリワビといふに似る。そして、この現實をふたたび觀念のはうに戸まどひさせて行くやうな茶席の設備も、今日おなじくすり切れてゐるらしい。なにがしあはせか知れないといふことである。
今日では、いふまでもないことだが、現實の世の中の秩序がとうにつてゐるのだから、茶席の秩序は現實とは分離的にしか成立しえない。その禮法のごときは、いや、その道具をあつかふ手つきなんぞは、どこの世界に持ち出しても完全に意味が無い。禮法ははなはだ勝負事のルールに似てゐる。かならずしも一つの茶埦をおほぜいでのみ廻すことがきたならしいのではなくて、不潔はこの禮法に搦んでゐるのだらう。といふのは、このやうな仕掛では、美的生活者がみづからたしかめるべき孤獨はよごれるほかないからである。江戸の中ごろに、文人墨客の間に煎茶の風がおこつたのは、舊來の茶席の秩序を、すくなくともその禮法を感覚的に拒否したといふことになるかも知れない。すでにして、茶についてのすべての觀念、茶道と呼ばれる思想なんぞは完全にほろびてゐる。これは、衛生學的に然るべきことであった。しかし、武士道はほろびても刀は骨董として残るやうに、茶道はほろびても道具は残り、建築は残り、茶といふ飲料は残つてゐる。茶の世界が分裂して、かつて世の中を構成したそれぞれの要素がおのれの位置にもどったやうなものである。
――― 茶埦の美
今日、茶といふ飲料はコーヒー、ココア、コカコラなんぞとまつたく同様に、個人の味覺の好みに依つてしか存在の意味をみとめられない。われわれは市中の瀬戸物屋のころがつてゐる「今燒」の茶埦を持つて、美學にも哲學にも気をつかふにおよばずに、椅子にかけて薄茶をのむことができる。またそのおなじ薄茶の茶埦にメシを盛つて食ふこともできる。いいあんばいに、この操作には何の禮法の典型もありえない。そしてわれわれはまたコーヒーをのみながら、かつて茶席の名器であつたころの、からの茶埦を手にとつて見ることができる。われわれはこの古い茶碗になにかの飲料なり食物なりを入れることは考へないだらう。いや、なにかを入れてはきたならしいやうに感ずるだらう。それでも、茶碗の貫祿があるとすれば、しばらくわれわれのてのひらの上にとどまつてゆるがない。このとき、われわれはそこに何を見てゐるのか。すなはち、茶埦の於てうつくしいものを見ているいといふことにほかならない。茶碗はむかしの茶席の雰圍氣から坺け出して、われわれの手の中に、直接の鑑賞に堪へるやうなところに物として置かれたといふことになる。ただその茶埦がいかにうつくしいものであつたとしても、われわれはそこからわれわれの美的生活をつくり出すといふやうな方向には考へては行かないだらう。けだし美には典型といふものは無い。したがつて美的生活には類型といふものはありえない。われわれの美的生活の形式は、もし欲するのならば、精神がまた別様にこれを編み出さなくてはならぬものである。手の中の茶埦に於て、見つけたと思つた美は、茶埦が手から離れたとき一瞬にして消えるだらう。不幸にして、それは茶埦といふ物が消えたといふことにひとしい。一般にそれがうつくしいものの宿命である。いひかへれば、一般にうつくしいものはいかなる美的觀念をも受け付けないほどに強烈ないのちをもつといふことである。
――― ワビ哲学
たまたまロージェ・マルタン・デュ・ガールのNotes sur Andere Gide.1913-1951の中に左の一節を見る。
○ジイドはわたしにつぎのビュフォンのペーヂを讀む。「情熱に於ける節制、快樂に於ける控へ目としらふとが生命の持讀を資けるといふこともありうるのかも知れない。しかし、これがどうも眉唾物である。肉體がそのすべての力を使ふといふこと、この消費しうるもののすべてを消費するといふことが、おそらく必要である。」もつてつぎのモンテーニュのことばに比すべきか。「わたしの出逢ひうる快樂の最小の機會に至るまで、わたしはそれを手でつかむ。」
われわれがうつくしい茶埦を手の中にとつたとき、もしそこに人生の情熱の瞬間があつたとすればわれわれもまた全力をもつて茶碗とともにその機會を手でつかまなくてはならない。それがわれわれの今日に生きてゐるといふことの具體的意味である。もしこの具體的意味を性格に機械で量り數式で示すことができるとすれば、すくなくとも近似的に正確にことばであらはすことをうるとすれば、われわれは必至にさうしなくてはならぬだらうそれは茶埦が手の中にあるといふことを肉體のエネルギーをもつてたしかめるといふ操作に似る。茶碗についてのすべての觀念は、右の正確なるべき表現の中にあるだらう。生活の具體的意味には、曖昧なものはありえない。むかしの茶湯者もやはり手の中に茶埦をたしかめ、また生活の具體的意味をそこにつかんだのだらう。そして、茶湯者の肉體のエネルギーがそそぎつくされたさきに、茶の世界はひらかれたのかも知れない。しかし、ワビの茶湯者の生活には觀念上のワビといふ曖昧なものがどこかしらしのびこんで来たのか。もしや、ワビの茶湯者は情熱の於て筯制的であり、茶碗とともに快樂の最小の機會を手でつかむことにはあまりに控へ目であったといふやうな事情がひそんでゐるのだらうか。あるひは、ワビ哲學はワビの茶湯者がみづからたしかめえた生活の具體的意味をみづから表現したものではなくて、ワビにあらざる道具持の茶湯者がおせつかいにも「下賤」の「道具なしの茶湯」について恣意に案出したものであらうか。すべての後世の憶測は後世の生活にとつて眉唾物である。すなわち、すべての後世のワビ哲學談義は茶の歴史にとって眉唾物である。今日製作のカコヒなんぞにをさまつて、茶といふ飲料をがぶがぶのんでみても、ワビについては何の答えも出て來ないだらう。われわれはもつと廣い場所に於て、手の中につかまへた茶埦といふ道具とあらためて相談をぶつほかない。
(見出しと傍線、著者)
――― 小説「白猫」の中
花笠武吉の演説
つまり、利休には無かつたものが遠州には加はつてゐるといふことです。ここには、山樂的なもの、派手であるものが「寂」とともに在るのです。このことはたれがみても一目瞭然でせうが、われわれは今この寂にして派手であるものを日本民衆の在り方としてつかみます。
遠州の茶道とは民衆の美學にほかなりませんでした。桂離宮は遠州の美意識を形態に組み上げたものでした。
しかるに、その遠州の茶道ははなはだ短命にして終りました。
ところで茶澁を嘗めてゐたこの人物のことを、乞食宗旦とはうまい渾名を附けました。やがて、この乞食根性は成上がり者の金鍔趣味と結託して、茶道商蕒の大繁昌を招くに至りました。民衆が茶道に洟も引つかけなくなつたのは理の當然です。
かくて、かの寂にして派手であるものはいつたいどうなつたのでせう。封建的なものの支配下にあつては、それは民衆の精神とともに窒息せざれるをえなかったのでせうか。たしかに芭蕉の風雅は貧棒くさい鹽垂衣ではなく、婉治なるものをほのめかせてゐます。そして、ひとり蕉風に限らず、一般に陰にひそむのと陽にうごくものとを含蓄してゐる俳諧が江戸期に於ける唯一の民衆の歌であつたといふ事實はいかなる歴史的意味をもつてゐるのでせうか。遠州の茶道といふ方面で堰きとめられた民衆の精神がこちらの側でもやもやするほかなかつたと解したなら牽強附會の説でせうか。いや、遠州的なものは俳諧のはうにほそぼそと繼承されたのだと、あへていひ切つてしまひませう。だが、芭蕉詩の壇上には能無臺のごとくさらに「幽玄」といふ曖昧なものがよこたはつてゐます。こんな不健康な觀念はかつて遠州にはありませんでした。またこんな斷停止は利休の突きつめた「寂」の中にもないはずです。
では「幽玄」とは・・・・・おそらく何かを美化してゐるであらうこのことばについて、われわれが今時分考へる必要はないのです。といふのは、その何かがどんなものか、いかにありがたさうな解釋がならべられたとしても、じつはそんなものがどこにもありつこないことを、民衆の叡智がとうに見破つてゐるのですから。しかも、この奇妙なことばが究極の境地として現實の中に假定されねばならなかつた事情は何に胚胎するのでせう。ただわれわれが承知していることは、このことばに封建的なもののにほひが沁みてゐて、民衆の精神にとつて餘計なお荷物だといふことです。「幽玄」が幅をとつただけ餘計に、遠州的なものは量を減らされ、力を弱められて、俳諧の中に押し込まれたのです。われわれは一箇の茶埦に於て、寂であるものを手に取つて見ることができ、同時にそのやうな作者の在り方を感得することができます。派手であるものについても同様です。しかし、幽玄である在り方とか、幽玄である作品とか、そんなへんなものがどこにあるのです。かかる無用物を案出したのはおそらく封建的なものの政治で、決して民衆の浪漫的精神ではありません。たとえば芭蕉の「古池」の句のごとき、それが名句であろうとなかろうと、芭蕉の寂である在り方として、われわれはすなほに享受しつつ、たしかに結構とは思はれぬこの句を、存外捨てきれずにゐるのです。しかるに、もしこの句のほうからここにこそ「幽玄」が鎭座するのだと説きつけて來たとしたらば、それはたちまちわれわれにとつて手のつけられぬばかばかしい駄句でしかないでせう。一般に、俳諧に於てわれわれを感動せしめるものの根源には、かならず遠州的なものが、すくなくとも寂と派手とに再分裂あっせられた遠州的なものが再分裂されてゐるのです。
クラウス博士の演説
――― クラウス博士とはブルーノ・タウトがモデルか(野口武彦指摘)
(クラウス博士は微笑をたたへて、ドイツ語ではなし出した。)・・・・・・・それは花笠氏がもつぱら彈刻に努められた「幽玄」のことです。・・・・・・・・・何を申し上げるかといふと、かうです。一箇の茶埦に於てわたくしはその美的價値に手をふれることができます。だが、それが寂であるか派手であるか、茶碗の味、作者の在り方からつねに若干の間隔をおいたところにわたくしはをるのです。向うがぴったりとこないのではなく、こちらが同化して行かないといふ恰好です。すくなくとも、日本の茶碗に於る限りわたくしはいつまでたつても諸君と同じ度合いにまで入り込んで行けないでせう。・・・・・・・・・・幽玄については・・・・・・花笠氏に依ると、民衆の叡智は頭からそれを否定するのでさうが、・・・・・・・
幽玄については、もしそれを理解すべく取りかかつたとすれば、異邦人であるわたくしもかならずや諸君とまつたくおなじく圓滿に理解してしまふであらうと思はれます。すなわち究極に於て、わたくしにとつては、宙にふわふわしてゐるはずの幽玄は案外つかへやすいにも係らず、手中にある茶碗の寂はどうにも至りがたいものだといふ結果になります。これもまた、やはり遠州にふれて、感じたことの一つですが・・・・・
わたくしは遠州の棚を見ました。何よりも、わたくしを深く打つたのはこの棚でした。おそらく、そこには花笠氏のいはゆる寂にして派手である在り方が示現されてゐるのでせう。しかし、わたくしを打つたといふのはそんな人間存在に關する底のものではありませんでした。じつにたぐひなくみごとな空間の切り取り方を、わたくしはそこに見たのです。伽藍、塔、軍艦、飛行機その他の構造に於て、われわれの眼前に物質と格闘する精神の姿がしばしば展開されます。そしてわたくしみづからが身を置き、今後も置くであらうところはその格闘の場にほかなりません。しかるに、遠州の棚にあつては格闘がまつたく見えないのです。
・・・・・・・・
物質そのものが、具體的には柔とか紫檀とかいふ材料がもう見えなくなつてゐて、あるものはただ空間を切り取った線のみ、いはば精神のかたちばかりです。精神の揺るぎ座、悠久者の姿を、わたくしはそこに見ました。そしてもはやぴつたりとか同化とかいつてゐる段ではなく、あたかも自分の立場、格闘の場所、批評精神などをもろともに身に附けたまま、わたくしはすらすらとそこに流れこむほかない鹽梅でした。永遠なもの、時間がなくなつたもの・・・・・・すでに時間が無いものに向つて、われわれはいかなることばを發することができるでせう。そのとき、わたくしはふと「幽玄」とはかかるとき發すべきことばではないかと思つたのです。
・・・・・・・
お國のひとびとが幽玄に於て何を解されるか、わたくしは知りません。また、かくてわたくしが幽玄を解しえたとも申しません。ただ花笠氏にして、どこに根據をもたれるにしろ、いま幽玄が無いと主張されるならば、この遠州の棚を象徴とするところのものの名は何であるか、うかがひたく存ずるのです、もちろん、聰明なる花笠氏はそのへんのことは百も承知で、しかるうへに創見を示されたのであらうと察せられますが・・・・・そのまへに、あるひは諸君はわたくしに對して、かの至りがたき茶碗の寂の上に、また桂離官につき民衆的といつたことばの上に、ここでふたたび説明を立ちもどらせるやう要求されるかも知れません。しかし・・・・・・ (つづく)
(つのがえしげじ)
2010年08月28日 Posted by 茶の蔵かねも at 15:59 │Comments(0) │お茶と文学
今日のかねも
朝はだいぶ涼しくなってきましたね
気持ちよくて朝起きるのがだんだんつらくなる予感です
ここ数日は月もすごくきれいで秋の気配です

それでもまだまだ昼間は暑いですね。
今日のAM11時頃のかねもです


at 2010.8.28(土)
気持ちよくて朝起きるのがだんだんつらくなる予感です

ここ数日は月もすごくきれいで秋の気配です

それでもまだまだ昼間は暑いですね。
今日のAM11時頃のかねもです


at 2010.8.28(土)
2010年08月28日 Posted by 茶の蔵かねも at 11:06 │Comments(0) │社員日記
*和紙缶が入荷しました*
夏も終わりに近づいていますが、残暑が厳しいこのごろです。

今年の夏は凄く暑かったですね
…なんて振り返ってしまいましたが、まだまだ現在進行形で暑いですね(><)

さて、先日和紙缶が入荷しました

今までなかったものや、お勧めの和紙缶をご紹介します


こちらはとても日本らしい絵柄で、外国の方へのお土産などにも喜ばれそうです
そしてこちらは↓

鶴の絵柄です。
この写真ですとわかりずらいですが、淡いピンク色と、淡いブルーの色違いです。
お祝いの贈り物にもぴったりですね

上品な雰囲気の和紙缶です。
違う種類のお茶をいれてぜひ色違いで使っていただきたいです

これからの季節にぴったりの秋色の和紙缶です

ほかにもいろいろな大きさ、デザインの和紙缶がございます
鳩居堂さんのハガキも秋模様です。

画像を横にすることが出来ずすみません(*_ _)人

少し気が早い話ですが、夏が終わってしまうのは少し寂しいですね…(*u_u)
でも秋は、お月見、スポーツ、お祭り、などなど
なにより食べ物がおいしいものがたくさん
楽しみです

まだまだ残暑が厳しい毎日です。どうぞご自愛ください
at 2010.8.23 石山

今年の夏は凄く暑かったですね
…なんて振り返ってしまいましたが、まだまだ現在進行形で暑いですね(><)


さて、先日和紙缶が入荷しました


今までなかったものや、お勧めの和紙缶をご紹介します



こちらはとても日本らしい絵柄で、外国の方へのお土産などにも喜ばれそうです

そしてこちらは↓

鶴の絵柄です。
この写真ですとわかりずらいですが、淡いピンク色と、淡いブルーの色違いです。
お祝いの贈り物にもぴったりですね


上品な雰囲気の和紙缶です。
違う種類のお茶をいれてぜひ色違いで使っていただきたいです


これからの季節にぴったりの秋色の和紙缶です


ほかにもいろいろな大きさ、デザインの和紙缶がございます

鳩居堂さんのハガキも秋模様です。

画像を横にすることが出来ずすみません(*_ _)人

少し気が早い話ですが、夏が終わってしまうのは少し寂しいですね…(*u_u)
でも秋は、お月見、スポーツ、お祭り、などなど
なにより食べ物がおいしいものがたくさん

楽しみです


まだまだ残暑が厳しい毎日です。どうぞご自愛ください

at 2010.8.23 石山
2010年08月23日 Posted by 茶の蔵かねも at 21:29 │Comments(0) │商品ご紹介
おくみどり生産家 大塚さんより
あさつゆ生産家 杉本和久さんより
こんにちは。御林茶業組合 杉本です。
8月19日の茶園の写真です。そろそろ雨がほしそうな茶の樹。
おっと人間のほうも一休みしたいですね、暑さで。

粟ヶ岳を背景に「あさつゆ」

「やぶきた」

「あさつゆ」
8月19日の茶園の写真です。そろそろ雨がほしそうな茶の樹。
おっと人間のほうも一休みしたいですね、暑さで。

粟ヶ岳を背景に「あさつゆ」

「やぶきた」

「あさつゆ」
2010年08月21日 Posted by 茶の蔵かねも at 15:33 │Comments(0) │生産家より
8月19日の有機栽培茶園
茶園の表情23
No21 志戸呂 四耳壺「祖母懐」銘
第二十一回 石川淳(夷齊) 草人木の「ワビ」
お茶と文学者
第二十一回
石川淳(夷齊)―― 草人木の「ワビ」
――― 石川淳の文学と侘
近代文学の解説者として高名な加藤周一氏はその労作「日本文学史序説」の中で「日本語の文学的散文を操って比類を絶するのは「石川淳である」その漢文くずし短文は、語彙の豊かさにおいて、語法の気品において、また内容の緊密さにおいて、荷風を抜きほとんど鴎外の塁に迫る。・・・・・・荷風以後に文人と称し得る者はただ一人の夷斎石川である。・・・・・・・その独特の傑作は超現実主義的な短編小説である。戦時中に「普賢」と「マルスの歌」、戦後には「黄金伝説」「燒跡のイエス」「紫苑物語」「喜寿童女」がある。これに「おとしばなし清盛」を加え、いずれも他に比類がない、としている。
長編小説としては「至福千年」「狂風記」「六道遊行」「天門」があり、晩年八十八才逝去する迄「蛇の歌」を書いていた。こゝで取り上げる「ワビ」は「夷斎清言」(岩選14)の中の初頭のエッセイであるが、作品社の中里恒子編「茶」にも掲載されているので、茶関係者の多くの人の眼にふれていると思われる。
漢籍、江戸文学、フランスを中心とするキリスト教文化等深い学殖の中で鴎外文学をきわめ、その中で澁江抽齋、北條霞亭の史伝物を鴎外作品中の第一等の書とされた事は多くの人の知るところである。然るに夷斎清言の中の「佗論」は多くの茶道家が問題の重要性を弁えつゝも等閑視しているのではあるまいか。いささかでも茶に縁のある者として気になる点である。
夷斎の文章は平明に似て晦渋、柔らかそうで鋭いロジックがある。もとより著者ごとき審美学に疎く、「茶の場」の道に暗い者に「佗」論を正確に要約する力量がない事は明白である。原文を概ねその儘提示して識者の数を乞うしかない。
尚夷斎の小説については井沢義雄氏の「石川淳の小説」野口武彦氏の「石川淳論」「江戸がからからになる日」など、いずれも読みごたえのある力作。読者はこの二者の夷斎への傾倒ぶりとその文学、哲学、美学の底の深さをじっくり思い知らされるだろう。(余計な話であるが、野口氏は日経文化欄に「江戸の風格」を書き続けられている。結構面白い読物である。)
しかし惜しむらくは両氏とも問題の「ワビ」論議には筆が及んでいない。「ワビ」に就いてはジードやモンテーニュ迄引合に出されて、茶道具類のエステティークについての議論がある。操り返して読んでも解りにくいそこには身分上の「ワビ」とどう繋がるのか、といった問題はない。だが名器と云われる茶埦などに対する夷斎審美学の問い掛けと挑戦がある事は間違いない。マラルメやジードに親しんだ夷斎は狷介にして韜晦であるが、封建的と言う言葉はきらいと云っている。そんなところを見ると大正アナーキストめいた臭いがしないでもない。
夷斎には「新釈雨月物語」があり、上田秋成の散文調を激賞している。それにも拘わらず秋成の「清風琑言」には触れていない。いささか物足りない。だが夷斎もどちらかと云えば抹茶より煎茶を好んだ事は確か、その趣は随処にうかがえる。ただしお作法の煩わしさがなければ抹茶も嫌いでなかったこと、これも確かである。
茶道研究会の久田宗也は、堀内家「草人木」を底本としていろいろ解説を行なっている。(茶道)古典全集(淡交社)その要点を挙げれば、本書は古織の伝ではない事、茶道の第三者的立場の者が、書肆「源太郎」の名で茶道入門手引書として編集したものである事、内容的には身分低く下級階級の者で道具類もあまり持てない佗任に対し極めて同情的で寛容な規範を示したものである事。そして佗人が茶の湯を通じて高貴の人に対する身の処し方を説いていること、etc..である。
しかし行用39・45等、細部にわたる茶事の心得の中に、人間の機微に亘るものを持ち込んでいるもの、「草人木」の佗の茶は、「式目の厳正なる履行を超えて「人間的なるもの」ともいうべき、新しい式目がより重い位を占めつゝある。ことを示すものであろうか」とも記している。なかなかむつかしい。
「草人木」は寛永年間のものであるが、「分類草人木」は永禄七年(一五六四)堺の茶人松斎春溪が筆録したという、又久田氏によれば「草人木」は寛永三年版がはじめであると記している。「草人木」と「分類草人木」は全く別の書である事は申す迄もない。
――― 夷齊のワビ論
石川淳は次の書き出しで「佗」論をはじめる。
草人木三冊、寛永九年壬申(一六三二)六月刊。草人木はすなわち茶といふ字である。これは江戸の茶事の本として古いはうに屬する。わたしは茶事にはさっぱり通じない。またそれをたしなまうなんぞといふ醉興もとんと無い。
・・・・・・・
開巻まづワビの定義が下される。ワビとは身分上の規定であった。茶をもつて正道とするとはいつても、道の上手下手に依つて身分の別が定まるのではない。
・・・・・・・
茶の湯には亭主と客とがある。招かれた客は役をたがへてはならない。しかし、無斷にて遅刻もしくは不參のものにも、なほゆるしがある。いかなる身分のものがゆるされるのか。「主君を持てみやつかへの人か、醫師か、旦那持の出家か、あるひは一僕にも及ばざる侘人か、如此のたぐひである。
・・・・・・・
ワビビトがゆるされるのは、じつは「其身數ならざ」るがゆゑなのだからここでもやはり身分上のケヂメをくはされたことにある。「免の一ヶ條」は一僕をもつかもたぬかといふことに係つてゐる。
・・・・・・・
その「下賤」のワビがなほカコヒに立入をゆるされるのは、貴人高位の「あはれみ」に依るといふ。それが「茶の湯の威徳」なのださうである。茶席には身分の上下を論ぜざるがごとき體にもてなしながら、じつは貴賤の差別をはつきりつけるといふところに、禮法の仕掛が見てとれる。
・・・・・・・
高位大名の仕打にさからはないことがワビの身に似合ふといふことらしい。この身のほどを越えないといふところに、ワビの作法が見つけられる。
・・・・・・・
なにぶんにでもすでに茶事には主客の關係がはたらくのだから、道具の美的價値の有無よりも、貴賤の身分の差別のはうを目安にしたところに社交の骨法を見つけたといふつもりなのかも知れない。美學と處世術とがここに搦みあつてゐるやうである。下賤の側がこれだけ手數をかけたうへで「貴人の御出にあづかるといふこそ茶湯の威徳はあらはれたれ。」といふ。かう肩身の狭いおもひをしてまで、「威徳」にあづからなくてもよさそうなものだが。
以下の文章は余りにも夷斎的、すべて原文の儘転記。
――― 隠遁者
道具をたのしむといふ。そして「藝能の重寶」のかぎりでは、貴賤の差別は無きにひとしいといふ。さういふ茶の世界とはいかなる性質のものか。草人木の著者は床のかざりの段に至つて「根本茶湯は隠遁者のわざ也。と記してゐる。隠遁者なるがゆゑに、茶席の床には「組師先徳の遺をける金言の軸物」をかけるといふ。東山殿の五式目にも租師の軸は茶道の本道」なのださうである。「金言」に拘泥せず、「軸」をもつて宗としてゐるところは、さすがに道具を楽しむ「茶道の本道」らしい。すると茶席の中には佛法の來世の觀念が具象的に設定されたことになるのか。にはかに判じがたい。またとくに佛法と関係があつたにしても、茶席は現實の世の中に於てそこが別天地であるやうな仕掛にはなつてゐたのだらう。特別の設計に依る建築の中で、特殊の道具を使って、特定の式目にしたがつて、茶をのむといふ操作をする。そしてさういう演出に於て生活の意味を發見する。その建築も、道具も、道具の配置もすべて美に関係あるとすれば、この演出はすなわち生活に於て具體的な美をあつかふ方法であり、そこにできあがった秩序は美的生活の可視的な形態であるといふことになる。茶の世界についての基本的認識は、今日のわれわれにとって、さしあたりこれだけで間に合ふ。茶席にをさまつた人間がいかなる觀念を案出しようと、またその顴念の内容がたとえば、美學に、哲學に、佛法に、老莊に、現実の幸福に、人生のひねくれに、商賣の取引に、他のものに関係しようと、われわれの知ったことではない。まして、美的生活者でもなく、隠遁者でもなく、他のなにものでもなさそうな後世の物識博士の捏造に係る茶道講義なんぞは完全に用が無い。さういつても、かつて茶の世界の秩序に生涯を託した人間はともかく美的生活者であったのだらう。またその世界が現實の世の中から分離的に存在するもののやうに考へられてゐたとすれば、それは隠遁者といへないものでもない。しかるに、不都合なことに、茶席の登場人物は主客を持って構成されるといふ約束になってゐるのだから、そこには「此道數奇執心の輩」いろいろ、「貴人高官」なんぞも大手をふつてはひつて來る。まさか「貴人高官」のことごとくが、「何の益あって」隠遁者を志願したといふわけでもあるまい。逆に隠遁者ならざる人物の出入りに依つて「此道」は繁唱したいといふ實績を示してゐる。
――― 茶席の禮法と道具の貫禄
・・・・・・このとき、茶席とはなにか。
茶席では、主客の關係を維持するものは、「道具の取置にて人をたつとむ事」をしらしめるやうな「しつけ方」であった。つまり、相手の身分に依つてはたふとばなくてよいといふような「しつけ方」もあつたことになる。これが茶席の秩序に於ける禮法である。この禮法の圖式は道具といふ物體のあつかひ方に依つて可視的に描かれる。ここに描かれた絵圖面は現實の世の名の秩序にむかつて物をいふだらう。といふのは、茶席の身分と現實の身分とは道具の媒介に於いてパアに通用するといふ為替相場ができあがつてゐたからである。すなはち、茶席の禮法は禮法一般の典型であつた。爲政者はこれに據つて現實の世の中の秩序を規制することができる。わたしが、このやうな禮法の立て方は封建的といへないものでもない。決して「隠遁者」ではなかった「貴人高官」が好んで茶席といふサロンに出入りした所以だらう。道具持は禮法の材料をふんだんに用意していたのだから、サロンの秩序のために幅をきかせたはずである。道具の美的價値について判定の權威を持つのは宗匠であった。この判定の効果は禮法上の基準に準ずる。宗匠の位置はすなわち禮の座であった。たとえば利休のやうな宗匠がその社會的地位に於てどれくらゐに高かつたちうふことは當時の名器として今日に殘つてゐる道具の貫綠に依つて、われわれはこれを蓋然的に目測することをうるだらう。爲政者のほうでは、この道具の効用をむだに見のがしてはおかない。たとへば武將の戰功を論じて封拜をおこなふとき、領國の代りに茶碗を持って賞賜とする。それは一箇の茶埦といふ財産上の利益をさづけられただけではなくて、名器をえた人間の茶席に於ける貫綠がおもくなつたといふこと、すなはちそれに應じて現實の世の中の秩序に於ける格式があつたか、サロンの附合であつたか、賞勳制度であったか、判然としない。あるひは武將がだまされたとすれば、誤算は茶碗の美的價値にキズがあったためではなくて、身分上の爲替相場に變動があつたものである。ただこのとき、美的生活の場として茶席の意味は見うしなわれたにちかいだらう。しかし、世の中の秩序にとっては、美的生活といふものはもともとあれども無きがごときなのだから、これをうしなつても損害にはなるまい。また茶湯者の側でも、おかげで商賣が繁昌するといふ計算になるならば、とくに文句をつける筋合はあるまい。「藝能の重寶」とは、おほきにこのことをいふのかも知れない。 (つづく)
(つのがえ しげじ)
第二十一回
石川淳(夷齊)―― 草人木の「ワビ」
――― 石川淳の文学と侘
近代文学の解説者として高名な加藤周一氏はその労作「日本文学史序説」の中で「日本語の文学的散文を操って比類を絶するのは「石川淳である」その漢文くずし短文は、語彙の豊かさにおいて、語法の気品において、また内容の緊密さにおいて、荷風を抜きほとんど鴎外の塁に迫る。・・・・・・荷風以後に文人と称し得る者はただ一人の夷斎石川である。・・・・・・・その独特の傑作は超現実主義的な短編小説である。戦時中に「普賢」と「マルスの歌」、戦後には「黄金伝説」「燒跡のイエス」「紫苑物語」「喜寿童女」がある。これに「おとしばなし清盛」を加え、いずれも他に比類がない、としている。
長編小説としては「至福千年」「狂風記」「六道遊行」「天門」があり、晩年八十八才逝去する迄「蛇の歌」を書いていた。こゝで取り上げる「ワビ」は「夷斎清言」(岩選14)の中の初頭のエッセイであるが、作品社の中里恒子編「茶」にも掲載されているので、茶関係者の多くの人の眼にふれていると思われる。
漢籍、江戸文学、フランスを中心とするキリスト教文化等深い学殖の中で鴎外文学をきわめ、その中で澁江抽齋、北條霞亭の史伝物を鴎外作品中の第一等の書とされた事は多くの人の知るところである。然るに夷斎清言の中の「佗論」は多くの茶道家が問題の重要性を弁えつゝも等閑視しているのではあるまいか。いささかでも茶に縁のある者として気になる点である。
夷斎の文章は平明に似て晦渋、柔らかそうで鋭いロジックがある。もとより著者ごとき審美学に疎く、「茶の場」の道に暗い者に「佗」論を正確に要約する力量がない事は明白である。原文を概ねその儘提示して識者の数を乞うしかない。
尚夷斎の小説については井沢義雄氏の「石川淳の小説」野口武彦氏の「石川淳論」「江戸がからからになる日」など、いずれも読みごたえのある力作。読者はこの二者の夷斎への傾倒ぶりとその文学、哲学、美学の底の深さをじっくり思い知らされるだろう。(余計な話であるが、野口氏は日経文化欄に「江戸の風格」を書き続けられている。結構面白い読物である。)
しかし惜しむらくは両氏とも問題の「ワビ」論議には筆が及んでいない。「ワビ」に就いてはジードやモンテーニュ迄引合に出されて、茶道具類のエステティークについての議論がある。操り返して読んでも解りにくいそこには身分上の「ワビ」とどう繋がるのか、といった問題はない。だが名器と云われる茶埦などに対する夷斎審美学の問い掛けと挑戦がある事は間違いない。マラルメやジードに親しんだ夷斎は狷介にして韜晦であるが、封建的と言う言葉はきらいと云っている。そんなところを見ると大正アナーキストめいた臭いがしないでもない。
夷斎には「新釈雨月物語」があり、上田秋成の散文調を激賞している。それにも拘わらず秋成の「清風琑言」には触れていない。いささか物足りない。だが夷斎もどちらかと云えば抹茶より煎茶を好んだ事は確か、その趣は随処にうかがえる。ただしお作法の煩わしさがなければ抹茶も嫌いでなかったこと、これも確かである。
茶道研究会の久田宗也は、堀内家「草人木」を底本としていろいろ解説を行なっている。(茶道)古典全集(淡交社)その要点を挙げれば、本書は古織の伝ではない事、茶道の第三者的立場の者が、書肆「源太郎」の名で茶道入門手引書として編集したものである事、内容的には身分低く下級階級の者で道具類もあまり持てない佗任に対し極めて同情的で寛容な規範を示したものである事。そして佗人が茶の湯を通じて高貴の人に対する身の処し方を説いていること、etc..である。
しかし行用39・45等、細部にわたる茶事の心得の中に、人間の機微に亘るものを持ち込んでいるもの、「草人木」の佗の茶は、「式目の厳正なる履行を超えて「人間的なるもの」ともいうべき、新しい式目がより重い位を占めつゝある。ことを示すものであろうか」とも記している。なかなかむつかしい。
「草人木」は寛永年間のものであるが、「分類草人木」は永禄七年(一五六四)堺の茶人松斎春溪が筆録したという、又久田氏によれば「草人木」は寛永三年版がはじめであると記している。「草人木」と「分類草人木」は全く別の書である事は申す迄もない。
――― 夷齊のワビ論
石川淳は次の書き出しで「佗」論をはじめる。
草人木三冊、寛永九年壬申(一六三二)六月刊。草人木はすなわち茶といふ字である。これは江戸の茶事の本として古いはうに屬する。わたしは茶事にはさっぱり通じない。またそれをたしなまうなんぞといふ醉興もとんと無い。
・・・・・・・
開巻まづワビの定義が下される。ワビとは身分上の規定であった。茶をもつて正道とするとはいつても、道の上手下手に依つて身分の別が定まるのではない。
・・・・・・・
茶の湯には亭主と客とがある。招かれた客は役をたがへてはならない。しかし、無斷にて遅刻もしくは不參のものにも、なほゆるしがある。いかなる身分のものがゆるされるのか。「主君を持てみやつかへの人か、醫師か、旦那持の出家か、あるひは一僕にも及ばざる侘人か、如此のたぐひである。
・・・・・・・
ワビビトがゆるされるのは、じつは「其身數ならざ」るがゆゑなのだからここでもやはり身分上のケヂメをくはされたことにある。「免の一ヶ條」は一僕をもつかもたぬかといふことに係つてゐる。
・・・・・・・
その「下賤」のワビがなほカコヒに立入をゆるされるのは、貴人高位の「あはれみ」に依るといふ。それが「茶の湯の威徳」なのださうである。茶席には身分の上下を論ぜざるがごとき體にもてなしながら、じつは貴賤の差別をはつきりつけるといふところに、禮法の仕掛が見てとれる。
・・・・・・・
高位大名の仕打にさからはないことがワビの身に似合ふといふことらしい。この身のほどを越えないといふところに、ワビの作法が見つけられる。
・・・・・・・
なにぶんにでもすでに茶事には主客の關係がはたらくのだから、道具の美的價値の有無よりも、貴賤の身分の差別のはうを目安にしたところに社交の骨法を見つけたといふつもりなのかも知れない。美學と處世術とがここに搦みあつてゐるやうである。下賤の側がこれだけ手數をかけたうへで「貴人の御出にあづかるといふこそ茶湯の威徳はあらはれたれ。」といふ。かう肩身の狭いおもひをしてまで、「威徳」にあづからなくてもよさそうなものだが。
以下の文章は余りにも夷斎的、すべて原文の儘転記。
――― 隠遁者
道具をたのしむといふ。そして「藝能の重寶」のかぎりでは、貴賤の差別は無きにひとしいといふ。さういふ茶の世界とはいかなる性質のものか。草人木の著者は床のかざりの段に至つて「根本茶湯は隠遁者のわざ也。と記してゐる。隠遁者なるがゆゑに、茶席の床には「組師先徳の遺をける金言の軸物」をかけるといふ。東山殿の五式目にも租師の軸は茶道の本道」なのださうである。「金言」に拘泥せず、「軸」をもつて宗としてゐるところは、さすがに道具を楽しむ「茶道の本道」らしい。すると茶席の中には佛法の來世の觀念が具象的に設定されたことになるのか。にはかに判じがたい。またとくに佛法と関係があつたにしても、茶席は現實の世の中に於てそこが別天地であるやうな仕掛にはなつてゐたのだらう。特別の設計に依る建築の中で、特殊の道具を使って、特定の式目にしたがつて、茶をのむといふ操作をする。そしてさういう演出に於て生活の意味を發見する。その建築も、道具も、道具の配置もすべて美に関係あるとすれば、この演出はすなわち生活に於て具體的な美をあつかふ方法であり、そこにできあがった秩序は美的生活の可視的な形態であるといふことになる。茶の世界についての基本的認識は、今日のわれわれにとって、さしあたりこれだけで間に合ふ。茶席にをさまつた人間がいかなる觀念を案出しようと、またその顴念の内容がたとえば、美學に、哲學に、佛法に、老莊に、現実の幸福に、人生のひねくれに、商賣の取引に、他のものに関係しようと、われわれの知ったことではない。まして、美的生活者でもなく、隠遁者でもなく、他のなにものでもなさそうな後世の物識博士の捏造に係る茶道講義なんぞは完全に用が無い。さういつても、かつて茶の世界の秩序に生涯を託した人間はともかく美的生活者であったのだらう。またその世界が現實の世の中から分離的に存在するもののやうに考へられてゐたとすれば、それは隠遁者といへないものでもない。しかるに、不都合なことに、茶席の登場人物は主客を持って構成されるといふ約束になってゐるのだから、そこには「此道數奇執心の輩」いろいろ、「貴人高官」なんぞも大手をふつてはひつて來る。まさか「貴人高官」のことごとくが、「何の益あって」隠遁者を志願したといふわけでもあるまい。逆に隠遁者ならざる人物の出入りに依つて「此道」は繁唱したいといふ實績を示してゐる。
――― 茶席の禮法と道具の貫禄
・・・・・・このとき、茶席とはなにか。
茶席では、主客の關係を維持するものは、「道具の取置にて人をたつとむ事」をしらしめるやうな「しつけ方」であった。つまり、相手の身分に依つてはたふとばなくてよいといふような「しつけ方」もあつたことになる。これが茶席の秩序に於ける禮法である。この禮法の圖式は道具といふ物體のあつかひ方に依つて可視的に描かれる。ここに描かれた絵圖面は現實の世の名の秩序にむかつて物をいふだらう。といふのは、茶席の身分と現實の身分とは道具の媒介に於いてパアに通用するといふ為替相場ができあがつてゐたからである。すなはち、茶席の禮法は禮法一般の典型であつた。爲政者はこれに據つて現實の世の中の秩序を規制することができる。わたしが、このやうな禮法の立て方は封建的といへないものでもない。決して「隠遁者」ではなかった「貴人高官」が好んで茶席といふサロンに出入りした所以だらう。道具持は禮法の材料をふんだんに用意していたのだから、サロンの秩序のために幅をきかせたはずである。道具の美的價値について判定の權威を持つのは宗匠であった。この判定の効果は禮法上の基準に準ずる。宗匠の位置はすなわち禮の座であった。たとえば利休のやうな宗匠がその社會的地位に於てどれくらゐに高かつたちうふことは當時の名器として今日に殘つてゐる道具の貫綠に依つて、われわれはこれを蓋然的に目測することをうるだらう。爲政者のほうでは、この道具の効用をむだに見のがしてはおかない。たとへば武將の戰功を論じて封拜をおこなふとき、領國の代りに茶碗を持って賞賜とする。それは一箇の茶埦といふ財産上の利益をさづけられただけではなくて、名器をえた人間の茶席に於ける貫綠がおもくなつたといふこと、すなはちそれに應じて現實の世の中の秩序に於ける格式があつたか、サロンの附合であつたか、賞勳制度であったか、判然としない。あるひは武將がだまされたとすれば、誤算は茶碗の美的價値にキズがあったためではなくて、身分上の爲替相場に變動があつたものである。ただこのとき、美的生活の場として茶席の意味は見うしなわれたにちかいだらう。しかし、世の中の秩序にとっては、美的生活といふものはもともとあれども無きがごときなのだから、これをうしなつても損害にはなるまい。また茶湯者の側でも、おかげで商賣が繁昌するといふ計算になるならば、とくに文句をつける筋合はあるまい。「藝能の重寶」とは、おほきにこのことをいふのかも知れない。 (つづく)
(つのがえ しげじ)
2010年08月04日 Posted by 茶の蔵かねも at 11:04 │Comments(0) │お茶と文学
茶園の表情22
茶園の表情21
№20 志戸呂 四耳壺
*夏模様です*
おはようございます
いつもかねもブログを読んで頂き、ありがとうございます

写真のUPを会社で出来なかったもので
、本日定休日ですが自宅のパソコンからUPしています。
金曜日は雨が降っていましたが、土曜日は晴れていてかねもの庭の緑もとてもきれいでした。


まだ梅雨明けはしていませんが、高校野球の県大会も始まりすっかり夏模様。
毎日暑いですね
でも今日は涼しいです
昨年は雨つづきで、梅雨があけないまま夏が終わってしまうんじゃないかと心配になってしまいましたが、今年はちょうどいいときに梅雨が明けてほしいものです

もう7月に入り、今年も半分が終わってしまったと思うと、本当にびっくりしてしまいます
まだ「平成22年」が新しく感じてしまっています

さて、来週の金曜日から3日間、かねもの近くの「つま恋」で ap bank fes のライブがあります。
当日はお店の外にでると有名なアーティストの方々の歌声が聞こえてきて、毎年なんだかドキドキ、そわそわしてしまいます

大好きな曲が流れていると、立ち止まってつい聞いていたくなってしまいます

当日は掛川駅前もライブのお客さんでとても賑やか
掛川駅構内の「これっしか処」さんでもかねもの煎茶チョコレート「みどりの恋人」をおかせていただいているのですが、
当日のために今、「みどりの恋人」をたくさん準備しています

お土産に毎年とても沢山の方にお買い求めいただいているんですよ
静岡県のお土産にもぴったりなのでぜひおすすめしたいと思います。
掛川産の煎茶の渋みと北海道のホワイトチョコレートの濃厚な甘み
甘みの中に、少し渋みがあるので男性の方にも人気があります。
少し渋みがあるのに、小さなお子様からも喜んでいただけるので、不思議なチョコレートです
一昨年、昨年は ライブの翌日かねもにも足を伸ばしてくださる方もいらっしゃり、ライブの様子を聞かせていただき、私も夏を満喫させていただきました。
様子を聞くだけで私までわくわくしてしまいました

最終日には花火が上がるのですが、その花火を自宅で見て毎年「今年も夏が始まるなぁ」とどきどきしています

鳩居堂さんの葉書も、風鈴、スイカ、花火・・・・・・とすっかり夏色ですよ

今日もお茶のことをご紹介することが出来ませんでした
次回はお茶のご紹介をしたいと思います
またぜひ御覧になってください
at2010.7.11 かねも 石山
いつもかねもブログを読んで頂き、ありがとうございます


写真のUPを会社で出来なかったもので
、本日定休日ですが自宅のパソコンからUPしています。金曜日は雨が降っていましたが、土曜日は晴れていてかねもの庭の緑もとてもきれいでした。


まだ梅雨明けはしていませんが、高校野球の県大会も始まりすっかり夏模様。
毎日暑いですね

でも今日は涼しいです

昨年は雨つづきで、梅雨があけないまま夏が終わってしまうんじゃないかと心配になってしまいましたが、今年はちょうどいいときに梅雨が明けてほしいものです


もう7月に入り、今年も半分が終わってしまったと思うと、本当にびっくりしてしまいます

まだ「平成22年」が新しく感じてしまっています


さて、来週の金曜日から3日間、かねもの近くの「つま恋」で ap bank fes のライブがあります。
当日はお店の外にでると有名なアーティストの方々の歌声が聞こえてきて、毎年なんだかドキドキ、そわそわしてしまいます


大好きな曲が流れていると、立ち止まってつい聞いていたくなってしまいます


当日は掛川駅前もライブのお客さんでとても賑やか

掛川駅構内の「これっしか処」さんでもかねもの煎茶チョコレート「みどりの恋人」をおかせていただいているのですが、
当日のために今、「みどりの恋人」をたくさん準備しています


お土産に毎年とても沢山の方にお買い求めいただいているんですよ

静岡県のお土産にもぴったりなのでぜひおすすめしたいと思います。
掛川産の煎茶の渋みと北海道のホワイトチョコレートの濃厚な甘み
甘みの中に、少し渋みがあるので男性の方にも人気があります。
少し渋みがあるのに、小さなお子様からも喜んでいただけるので、不思議なチョコレートです

一昨年、昨年は ライブの翌日かねもにも足を伸ばしてくださる方もいらっしゃり、ライブの様子を聞かせていただき、私も夏を満喫させていただきました。
様子を聞くだけで私までわくわくしてしまいました


最終日には花火が上がるのですが、その花火を自宅で見て毎年「今年も夏が始まるなぁ」とどきどきしています


鳩居堂さんの葉書も、風鈴、スイカ、花火・・・・・・とすっかり夏色ですよ


今日もお茶のことをご紹介することが出来ませんでした

次回はお茶のご紹介をしたいと思います

またぜひ御覧になってください

at2010.7.11 かねも 石山
2010年07月11日 Posted by 茶の蔵かねも at 10:59 │Comments(0) │社員日記
第二十回 木下杢太郎 十六世紀キリシタンの觀た茶の湯3
お茶と文学者
第二十回
木下杢太郎 十六世紀キリシタンの觀た茶の湯③
――― 十六世紀の外人の觀た茶
関白秀吉がキリシタンに茶を勧めたこと
ルイス・フロイスの「大阪城の秀吉」 杢太郎訳
關白殿の前には十三ばかりの美服したる一少女前み、殿の長衣及び刀を持したり。この城に於ては、男子は召しつかはるゝことなく、専ら女子にこれに當り、その數三百ばかり、皆貴人の女なり。其他なほ多數の待女あり。三四階を登りたる後、殿は我らを顧み、皆々疲勞せられたるなるべし、少し茶を飲みたまへと言ひたまひき。茶は最も優雅なる壺より注がれ、最上の品なり。城の最上廥に登り、暫くそこに止り、殿と共に風景を俯瞰したり。城の下には六萬の人々勞作してあり。彼等は今殿のかくうちとけて喜ばしげなる様を看て、いたくも驚きてありき。(さて城摟を降りてのち、殿は座に就かれ、我らはそのまはりに坐したり。その時殿の言はれけるは、南方の諸國をば之を配つことに決したり。その國主よりは幾分づゝ割くべし。若し敢て従はざる者あらば、大軍を提げて之を破らむのみと。かく言ひまたいろいろのことを語りたまふ間、殿の顔容には喜悦と眞情との影浮び、我等を疑ふが如き、けはひは少しも見えざりき。)(この時、嘗て都に於て、ぱあでれ・ルイジ・フロエス及び日本人伊留滿ロンレツオの、信長の面前に於て、日乘上人と稱する佛儈と討論し、佛儈の己れ負けたりと見るや、大に憤怒し、信長の刀を取って伊留滿ロンレツオを殺せむとせしことを想起し、言ひたまふやう、かの時は、我も恰もその座に在りて、御身の説を尤もと思ひたり。かく言ひ、立ち上がりて、既に甚だ年老いたる伊留滿ロンレツオに近づき、その手を彼が頭に置きて言ひたまへり。わが今語りしことはこの者こそよく知りつれ。何故にさは默してあるぞと。又日ひたまひけるは、かくの如き事の若しわが代に行はれむか、その不敬は死を以て償はるべしと。)後われ等をば納戸のうちに坐せしめ、神父たちに會ひに來れる二人の女を去らしめ、更に主なるきりしたん貴女の名をさし、その座に來らしめたり。即ち嚮に述べたるマダレナ及びドンナ・ジヨワンナなり。後者は内裏の親戚なるZonqueの妻なり。再び飮料勸められき。即ち二人の奉敎人たる貴女は茶埦を齎らし來り、殿は手づから之を取って、第一に副官區長神父、そのあとにて他の神父たち及び、伊留滿たちに勸められたり。殿の此時爲されたる款侍の樣は未曾有の事なりしとぞ。殿に見参する諸侯に對しても、この三分一の厚遇も與へられざるが常なり。
(全21P157)
フロイスの文章は、一五八六~九六頃のものである。杢太郎訳はこの他に“伴天連書翰に現はれたる「關白秀次の行状と死と」”や「日本年報一五九○」「日本書簡一五九一~九二」などがある。
岡田章雄氏に「外国人の見た茶の湯」(淡交社)の好著があるが、フロイスの訳注本としては「ヨーロッパ文化と日本文化」(岩文P92)がある。日本人の食事と喫茶その他文化一般にいて西欧人との対比の形で述べられ、平易で解りやすい。こゝでは茶についての文章を転記させて頂く。
○われわれの間では従僕が食卓を片付ける。日本では食事をした貴人が、自分で自分の食卓を片付けることが多い。
註、茶席の作法について記しているのであろう。一例を挙げれば『茶道早合点』に「一、喰ヒ仕廻テ、椀皿の類きれいにして膳の内へ組入レ置ク事、正客の通りにしてよし。……一、亭主膳を取に出、正客渡ス時中座より、我膳を勝手口の方へ出し置クべし。」
○われわれの間では日常飲む水は冷たく澄んだものでなくてはならない。日本人の心は熱く、そして茶の粉を入れて竹の刷毛で攪拌することが必要とされる。
註、竹の刷毛というのは茶筅のことで、抹茶を飲む風習について述べたものである。
○われわれの間では招待をうけたものが招待したものに礼を述べる。日本では招待したものが招待されたものに礼を述べる。
註、対照のための誇張もあるが、茶席の作法について述べたものと思われる。
――― 茶室
又家屋、建築、庭園、および果実についての項目に茶室に関して次のように述べられている。いづれも誇張はあるが觀察は鋭い。
●われわれの部屋は立派に加工され、磨き上げられた木材でつくられている。彼等の茶の湯chanoyuの部屋は、自然を模して、森からもつてきたような木材で作られている。
註、ロドリーゲスの「日本協会史」(第三十三章)には、茶室のことを記して、「藁や茅で葺き、森から採つてきたままのような加工を施さない材木で作った小さな小屋」と云っている。
●われわれの部屋には一般に光を多く採る窓がある。茶の湯chanoyuの座敷Zaxigis
には窓が無く、暗い。
●われわれは宝石や金、銀の片を宝とする。日本人は古い釜や、古いヒビ割れした陶器、土製の器等を宝物とする。
註、茶の湯の道具類(茶釜、茶、壺、茶埦など)が貴重だとされてきわめて高價であったことは奇異の感を與えたようで、当時の宣教師の報告にはたびたびその事が書かれている。
●われわれの(部屋)は綴織の壁布、ゴドメシス、フランドルの布で飾られる。日本のは
鍍金または黒い墨で描かれた紙の屏風Beobusで飾られている。
註、ゴドメシスは、ゴドメシン山羊の皮をなめしたもの、フランドルの布とはオランダ製のコブラン織のことであろう。いづれも壁に飾ったのであろう。日本の金屏風、および墨絵の屏風をこれと対比させている。 (第十一章P148)
●われわれは何か貴重な品に手を觸れるために手を洗ふ、日本人は茶の湯chanoyuの道具dongusを見るために洗ふ。
(第十四章P184)
――― グルワチエリの觀た茶の湯
イタリーグルワチエリ著木下杢太郎訳に「日本遣欧使者」がある。原作は一五八五年で其時代の日本の習慣などを記している。こゝでは日本の茶の湯について述べてある箇所を書き寫してみる。
食事の終には、夏冬に拘らず必ず一碗の熱き湯を飲む。極めて意を注ぎて唯少しずつ飲み下す。
烹炊の法、調味の法はまた歐羅巴に於けると大に異なり、之を譬ふること難しとする。また人の甚だ重じて、日本の財寳の主となす者も亦極めて奇で、之を語らば我國の人は必ず嘲笑しやう。かの國に於ては に説くが如く湯を飮む習有るが、之には茶と稱する藥艸の粉末を混じる。これぞ甚だ珍重せらるる飲料で、貴人の家に在つては特にその爲めに造った別室を有せざるはない。而して人皆之を加減好く煮る稽古をする。客を招いて鄭重なもてなしを爲さうといふ時には、己が手に之を煮るのである。而して水がかく高價なばかりではなく、その爲めに選ばれる道具類、粉にしたる茶の葉を貯ふる壺、湯を沸す鐵の鍋、その五徳、茶を飮む爲めの陶碗の如きも亦頗る高價である。それ等の道具は新しければ値がない。我等に於けると反對である。其價値は全く古への名工によつて作られたといふに存する。之を鑑定する眼識、嗜好、堪能のほどは、恰も我等に在つて、金工を商ふものの、能く寶玉の善悪を判定するに堪へると同じである。されば道具の古いものは、想像しがたき高價である。一具にして四千、六千ヅカチの價を有するものがある。かくして豊後の國王は、一つの小さき陶壺の爲めに四萬ヅカチを吝まず、また堺の市の富める一奉教人は、幸にも二三箇處に修理の迹ある五徳一つの爲めに千四百ヅカチを拂つた。また一鳥一木を墨で書いた紙片でも、若しそれが古への大匠の手になつたとなると、人皆大金を吝まずして之を求める。時としては一片の書幀を購はむが爲めに、三人の人々醵金して六千スクヂを拂ふが如きこともあった。
杢太郎の茶道觀はポルトガル人やイタリー人の見た往時の茶の湯觀にかなり影響を受けたかもなどと思う。
――― 日記(五巻)の中の茶
明治三十八年四月二十八日 石上君来り新茶を貰ふ
昭和十年 十一月廿六日 火 晴
Le 2 Dec. 1935 Vision
茶壷が光ってゐる。
奇なる蝶が飛來した。
石屋の庭にもちの枝が光つた。
まひるに石をうつ響がものうく響いた。
養女があとから生まれた小さい娘を打つた。
そして親達が怒つた。
養はれた女が年頃になってその親にあだを返した。
それも既にこの世の無臺から去つた後である。
そして理學士は色斑な蛾を眺めた。
かういふヰジオンの湧いたのは物の幾分であつたかははっきり分らぬ。
主人は竹のさゝらで茶をかきまはしてゐる。
そして理學士は結核といふ病のことを思った。
暗い夜道の遠屋
尚昭和十一年一月十六日
今年になって初めて、今夜ひとりごとのような日記をつくった。否この日記を思いついたのは他の目的があったからである。それは三つの詩の企図が心に浮んだからである。三つの内の(二)として、
友人が茶を立て、振舞ってゐる最中座敷へ蛾が入ってきた。客の一人の動物学者はその新しい種らしいのに気をとられて、お茶をだめにした話。茶壷に夕日が光る。
―――
昭和十二年八月四日、昨夜よき茶のみ、そのたたりてよく眠れず今日一日ねむたかりき、回診
昭和十二年九月廿六日 晴
再び夏の如くあつし。午前十時寧子(ナミツレル)と植物園にゆき、三十四枚スケッチ。それからひとりにて上野に二科會を見、
丸善で Louis Reymond;Le Romantisme(28f.=4:75) を求む。一時半に家に帰り昼食。三時半東片町の緒方規雄を尋ねる。
岡田淸三四郎氏夫人來。それから曙町の荒井さん(荒井事務局長の姉)といふ女の師匠(四十四五歳。 流茶道にゆく)先客、―――及び河合氏(浅草の若旦那)あり、あとから荒井氏夫人來。
客附。「松風の音だに秋はさびしきに衣うつなりたまがはの里」(源俊賴朝臣、千載集)
あいさつに來る。庭にかゞみ、障子をあけ、すぐしかめへる。―――氏先導。手洗(叡山ごけ)、三畳半。板、床、夕がほ。
會席。
飯、シル(ミソ。百合の根)スノモノ シホヤキ ナスとユバ 栗フクマセと・・・(ノ一鹽也)
一度寄附ノヘヤにカヘル
―――
再び茶室に入る。
釣生(いもの子。)
昭和十三年
二月廿日 快晴喧暖
十一時緒方規雄君を訪ねそれより岡田夫人同車にて浅草雷門壹丁目三番地河合忠兵衛氏宅茶會に参ず。他に鈴木老刀目、 氏。紫地 園畫狸賛定藩(?)皮肉骨髄、付了這般瞠是眼睛萬〃入于 雨除山色 色
牡丹。盆信三幅、
備前水差
正客。詰、
よい景色でございます。
備前、
一入、樂、薄茶々碗 馬上
四月六日
十時中川夫婦、緒方夫婦、岡田夫人と裏千家を訪ねる。茶道より商蕒主義の印象を與ふ。神社の内のやうにてむしろがさつにて閑寂の感なし。わかきけいこの娘茶を立てる。湯滅法熱くして、まま事あり、
〔欄外〕咄〃齋、玄〃齋
茶室、建築としては面白し。隣室にて老女菓子のことにて聲高にいふ
今日菴、懈怠比久不知明日、故に今日菴と名づく、二疊也、
又隠菴
以上のように昭和の初期には茶の湯にも多少の関心があった。だが外國文化、異國情趣に慣れ親しんだ杢太郎の事である。いかに多芸多才であっても茶の湯や緑茶に迠緻密な考察が及ばなかったのだと思いたいのだが。
百花譜について
杢太郎の「百花譜」は八七二葉の植物寫眞図譜であるが、その内「茶」は、昭和十八年十一月二日伊東市で一葉を寫生し、他は昭和十九年八月七日(雨)同じく伊東市で描いたものである。
学者の余技といふ程度のものではなく、才人杢太郎でしか描けなかった画業と云ふべきもの
(つのがえ しげじ)
第二十回
木下杢太郎 十六世紀キリシタンの觀た茶の湯③
――― 十六世紀の外人の觀た茶
関白秀吉がキリシタンに茶を勧めたこと
ルイス・フロイスの「大阪城の秀吉」 杢太郎訳
關白殿の前には十三ばかりの美服したる一少女前み、殿の長衣及び刀を持したり。この城に於ては、男子は召しつかはるゝことなく、専ら女子にこれに當り、その數三百ばかり、皆貴人の女なり。其他なほ多數の待女あり。三四階を登りたる後、殿は我らを顧み、皆々疲勞せられたるなるべし、少し茶を飲みたまへと言ひたまひき。茶は最も優雅なる壺より注がれ、最上の品なり。城の最上廥に登り、暫くそこに止り、殿と共に風景を俯瞰したり。城の下には六萬の人々勞作してあり。彼等は今殿のかくうちとけて喜ばしげなる様を看て、いたくも驚きてありき。(さて城摟を降りてのち、殿は座に就かれ、我らはそのまはりに坐したり。その時殿の言はれけるは、南方の諸國をば之を配つことに決したり。その國主よりは幾分づゝ割くべし。若し敢て従はざる者あらば、大軍を提げて之を破らむのみと。かく言ひまたいろいろのことを語りたまふ間、殿の顔容には喜悦と眞情との影浮び、我等を疑ふが如き、けはひは少しも見えざりき。)(この時、嘗て都に於て、ぱあでれ・ルイジ・フロエス及び日本人伊留滿ロンレツオの、信長の面前に於て、日乘上人と稱する佛儈と討論し、佛儈の己れ負けたりと見るや、大に憤怒し、信長の刀を取って伊留滿ロンレツオを殺せむとせしことを想起し、言ひたまふやう、かの時は、我も恰もその座に在りて、御身の説を尤もと思ひたり。かく言ひ、立ち上がりて、既に甚だ年老いたる伊留滿ロンレツオに近づき、その手を彼が頭に置きて言ひたまへり。わが今語りしことはこの者こそよく知りつれ。何故にさは默してあるぞと。又日ひたまひけるは、かくの如き事の若しわが代に行はれむか、その不敬は死を以て償はるべしと。)後われ等をば納戸のうちに坐せしめ、神父たちに會ひに來れる二人の女を去らしめ、更に主なるきりしたん貴女の名をさし、その座に來らしめたり。即ち嚮に述べたるマダレナ及びドンナ・ジヨワンナなり。後者は内裏の親戚なるZonqueの妻なり。再び飮料勸められき。即ち二人の奉敎人たる貴女は茶埦を齎らし來り、殿は手づから之を取って、第一に副官區長神父、そのあとにて他の神父たち及び、伊留滿たちに勸められたり。殿の此時爲されたる款侍の樣は未曾有の事なりしとぞ。殿に見参する諸侯に對しても、この三分一の厚遇も與へられざるが常なり。
(全21P157)
フロイスの文章は、一五八六~九六頃のものである。杢太郎訳はこの他に“伴天連書翰に現はれたる「關白秀次の行状と死と」”や「日本年報一五九○」「日本書簡一五九一~九二」などがある。
岡田章雄氏に「外国人の見た茶の湯」(淡交社)の好著があるが、フロイスの訳注本としては「ヨーロッパ文化と日本文化」(岩文P92)がある。日本人の食事と喫茶その他文化一般にいて西欧人との対比の形で述べられ、平易で解りやすい。こゝでは茶についての文章を転記させて頂く。
○われわれの間では従僕が食卓を片付ける。日本では食事をした貴人が、自分で自分の食卓を片付けることが多い。
註、茶席の作法について記しているのであろう。一例を挙げれば『茶道早合点』に「一、喰ヒ仕廻テ、椀皿の類きれいにして膳の内へ組入レ置ク事、正客の通りにしてよし。……一、亭主膳を取に出、正客渡ス時中座より、我膳を勝手口の方へ出し置クべし。」
○われわれの間では日常飲む水は冷たく澄んだものでなくてはならない。日本人の心は熱く、そして茶の粉を入れて竹の刷毛で攪拌することが必要とされる。
註、竹の刷毛というのは茶筅のことで、抹茶を飲む風習について述べたものである。
○われわれの間では招待をうけたものが招待したものに礼を述べる。日本では招待したものが招待されたものに礼を述べる。
註、対照のための誇張もあるが、茶席の作法について述べたものと思われる。
――― 茶室
又家屋、建築、庭園、および果実についての項目に茶室に関して次のように述べられている。いづれも誇張はあるが觀察は鋭い。
●われわれの部屋は立派に加工され、磨き上げられた木材でつくられている。彼等の茶の湯chanoyuの部屋は、自然を模して、森からもつてきたような木材で作られている。
註、ロドリーゲスの「日本協会史」(第三十三章)には、茶室のことを記して、「藁や茅で葺き、森から採つてきたままのような加工を施さない材木で作った小さな小屋」と云っている。
●われわれの部屋には一般に光を多く採る窓がある。茶の湯chanoyuの座敷Zaxigis
には窓が無く、暗い。
●われわれは宝石や金、銀の片を宝とする。日本人は古い釜や、古いヒビ割れした陶器、土製の器等を宝物とする。
註、茶の湯の道具類(茶釜、茶、壺、茶埦など)が貴重だとされてきわめて高價であったことは奇異の感を與えたようで、当時の宣教師の報告にはたびたびその事が書かれている。
●われわれの(部屋)は綴織の壁布、ゴドメシス、フランドルの布で飾られる。日本のは
鍍金または黒い墨で描かれた紙の屏風Beobusで飾られている。
註、ゴドメシスは、ゴドメシン山羊の皮をなめしたもの、フランドルの布とはオランダ製のコブラン織のことであろう。いづれも壁に飾ったのであろう。日本の金屏風、および墨絵の屏風をこれと対比させている。 (第十一章P148)
●われわれは何か貴重な品に手を觸れるために手を洗ふ、日本人は茶の湯chanoyuの道具dongusを見るために洗ふ。
(第十四章P184)
――― グルワチエリの觀た茶の湯
イタリーグルワチエリ著木下杢太郎訳に「日本遣欧使者」がある。原作は一五八五年で其時代の日本の習慣などを記している。こゝでは日本の茶の湯について述べてある箇所を書き寫してみる。
食事の終には、夏冬に拘らず必ず一碗の熱き湯を飲む。極めて意を注ぎて唯少しずつ飲み下す。
烹炊の法、調味の法はまた歐羅巴に於けると大に異なり、之を譬ふること難しとする。また人の甚だ重じて、日本の財寳の主となす者も亦極めて奇で、之を語らば我國の人は必ず嘲笑しやう。かの國に於ては に説くが如く湯を飮む習有るが、之には茶と稱する藥艸の粉末を混じる。これぞ甚だ珍重せらるる飲料で、貴人の家に在つては特にその爲めに造った別室を有せざるはない。而して人皆之を加減好く煮る稽古をする。客を招いて鄭重なもてなしを爲さうといふ時には、己が手に之を煮るのである。而して水がかく高價なばかりではなく、その爲めに選ばれる道具類、粉にしたる茶の葉を貯ふる壺、湯を沸す鐵の鍋、その五徳、茶を飮む爲めの陶碗の如きも亦頗る高價である。それ等の道具は新しければ値がない。我等に於けると反對である。其價値は全く古への名工によつて作られたといふに存する。之を鑑定する眼識、嗜好、堪能のほどは、恰も我等に在つて、金工を商ふものの、能く寶玉の善悪を判定するに堪へると同じである。されば道具の古いものは、想像しがたき高價である。一具にして四千、六千ヅカチの價を有するものがある。かくして豊後の國王は、一つの小さき陶壺の爲めに四萬ヅカチを吝まず、また堺の市の富める一奉教人は、幸にも二三箇處に修理の迹ある五徳一つの爲めに千四百ヅカチを拂つた。また一鳥一木を墨で書いた紙片でも、若しそれが古への大匠の手になつたとなると、人皆大金を吝まずして之を求める。時としては一片の書幀を購はむが爲めに、三人の人々醵金して六千スクヂを拂ふが如きこともあった。
杢太郎の茶道觀はポルトガル人やイタリー人の見た往時の茶の湯觀にかなり影響を受けたかもなどと思う。
――― 日記(五巻)の中の茶
明治三十八年四月二十八日 石上君来り新茶を貰ふ
昭和十年 十一月廿六日 火 晴
Le 2 Dec. 1935 Vision
茶壷が光ってゐる。
奇なる蝶が飛來した。
石屋の庭にもちの枝が光つた。
まひるに石をうつ響がものうく響いた。
養女があとから生まれた小さい娘を打つた。
そして親達が怒つた。
養はれた女が年頃になってその親にあだを返した。
それも既にこの世の無臺から去つた後である。
そして理學士は色斑な蛾を眺めた。
かういふヰジオンの湧いたのは物の幾分であつたかははっきり分らぬ。
主人は竹のさゝらで茶をかきまはしてゐる。
そして理學士は結核といふ病のことを思った。
暗い夜道の遠屋
尚昭和十一年一月十六日
今年になって初めて、今夜ひとりごとのような日記をつくった。否この日記を思いついたのは他の目的があったからである。それは三つの詩の企図が心に浮んだからである。三つの内の(二)として、
友人が茶を立て、振舞ってゐる最中座敷へ蛾が入ってきた。客の一人の動物学者はその新しい種らしいのに気をとられて、お茶をだめにした話。茶壷に夕日が光る。
―――
昭和十二年八月四日、昨夜よき茶のみ、そのたたりてよく眠れず今日一日ねむたかりき、回診
昭和十二年九月廿六日 晴
再び夏の如くあつし。午前十時寧子(ナミツレル)と植物園にゆき、三十四枚スケッチ。それからひとりにて上野に二科會を見、
丸善で Louis Reymond;Le Romantisme(28f.=4:75) を求む。一時半に家に帰り昼食。三時半東片町の緒方規雄を尋ねる。
岡田淸三四郎氏夫人來。それから曙町の荒井さん(荒井事務局長の姉)といふ女の師匠(四十四五歳。 流茶道にゆく)先客、―――及び河合氏(浅草の若旦那)あり、あとから荒井氏夫人來。
客附。「松風の音だに秋はさびしきに衣うつなりたまがはの里」(源俊賴朝臣、千載集)
あいさつに來る。庭にかゞみ、障子をあけ、すぐしかめへる。―――氏先導。手洗(叡山ごけ)、三畳半。板、床、夕がほ。
會席。
飯、シル(ミソ。百合の根)スノモノ シホヤキ ナスとユバ 栗フクマセと・・・(ノ一鹽也)
一度寄附ノヘヤにカヘル
―――
再び茶室に入る。
釣生(いもの子。)
昭和十三年
二月廿日 快晴喧暖
十一時緒方規雄君を訪ねそれより岡田夫人同車にて浅草雷門壹丁目三番地河合忠兵衛氏宅茶會に参ず。他に鈴木老刀目、 氏。紫地 園畫狸賛定藩(?)皮肉骨髄、付了這般瞠是眼睛萬〃入于 雨除山色 色
牡丹。盆信三幅、
備前水差
正客。詰、
よい景色でございます。
備前、
一入、樂、薄茶々碗 馬上
四月六日
十時中川夫婦、緒方夫婦、岡田夫人と裏千家を訪ねる。茶道より商蕒主義の印象を與ふ。神社の内のやうにてむしろがさつにて閑寂の感なし。わかきけいこの娘茶を立てる。湯滅法熱くして、まま事あり、
〔欄外〕咄〃齋、玄〃齋
茶室、建築としては面白し。隣室にて老女菓子のことにて聲高にいふ
今日菴、懈怠比久不知明日、故に今日菴と名づく、二疊也、
又隠菴
以上のように昭和の初期には茶の湯にも多少の関心があった。だが外國文化、異國情趣に慣れ親しんだ杢太郎の事である。いかに多芸多才であっても茶の湯や緑茶に迠緻密な考察が及ばなかったのだと思いたいのだが。
百花譜について
杢太郎の「百花譜」は八七二葉の植物寫眞図譜であるが、その内「茶」は、昭和十八年十一月二日伊東市で一葉を寫生し、他は昭和十九年八月七日(雨)同じく伊東市で描いたものである。
学者の余技といふ程度のものではなく、才人杢太郎でしか描けなかった画業と云ふべきもの
(つのがえ しげじ)
2010年06月26日 Posted by 茶の蔵かねも at 16:44 │Comments(0) │お茶と文学
クッキーが焼きあがりました。
クッキーが販売開始になりました
今回私は初めてクッキー作りに参加させていただきましたが、
とても手間がかかり驚きました
細かく砕いたくるみがたっぷり入っています


ホームメイドのため、数に限りがあります
ふんわりとろけるクッキーをぜひ味わってみて下さい


インターネットからもご購入いただけます☆
どうぞよろしくお願い致します。
小売部 杉本

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小売部 杉本








