茶の蔵 かねも

御林茶業組合の杉本和久さんより、メールをいただきました。


こんにちは、杉本和久です。


我が家の隣で改植の重機作業が始まりました。


オペレーターは茶農家の主人。
農家の気持ちが充分分かってるから(だって農家ですから)安心です。

あとあと栽培管理がしやすいように地形を整えてくれます。
バックホウは重量12トンほどあります。

自重があり、力(りき)があって深く耕せるので、
このくらいの重機なら理想的。
また、アームが長く遠くまで届くので整地作業もきれいにこなせます。



 
朝のバックホウ。まだエンジンに火が入っていません。




土を移動しています。傾斜をゆるくしています。




ところで、寒いですね。冬は寒いのがいいのです。
おいしい新茶が期待できますよ、きっと。

低温下では茶樹は呼吸活動を控える
(エネルギーを消費しない=蓄えたデンプンを温存できる=新芽にそれを使える)
ので深い休眠は好ましいのです。受け売り!


では今日はこのへんで失礼します。



2012.1.27 杉本和久  

2012年01月28日 Posted by 茶の蔵かねも at 10:33Comments(0)生産家より

☆★☆新商品のご案内☆★☆

かねもオリジナル飴が販売になりました太陽






三種類ありますのでご案内致します警察官キラキラ


①茶飴




個々包装 50g(14個~15粒) ¥210

かねもの自園特別栽培茶(有機肥料・農薬無散布)を使用しています。
お茶の香りがお口の中に広がります。
甘すぎず、すっきりとした味わいです。

ご自宅用はもちろんのこと、
掛川のちょっとしたお土産にもおススメですニコニコクローバー



②ハッカ飴



個々包装 50g(14~15粒) ¥210


お口の中に、スースーとしたさわやかな
ハッカが香ります。
気分をリフレッシュさせたい時や
旅行新幹線のお供におススメですちょきキラキラ



③和三盆糖黒みつ飴



個々包装 50g(14個~15粒) ¥367

日本特産砂糖きび黒蜜を使用しております。
上品な甘さをお楽しみください王冠クローバー



ただ今店舗のみで販売しておりますが、
お電話電話での通信販売でもご注文いただけます音符

インターネットパソコンからのご購入をご希望のお客様は
備考欄にご希望の商品と数量をご記載下さいパンダキラキラ



どうぞよろしくお願いいたします太陽ハート  

2012年01月19日 Posted by 茶の蔵かねも at 17:35Comments(0)商品ご紹介

御林茶業組合の杉本和久さんよりお写真をお送りいただきました。

杉本和久です。
二十四年初回のメールが雪景色とはね。

この風景のなか、立ち寄った人が
「まるで水墨画ですね。」という表現を
してくれました。


ウラからの我が家



雪でけむる「やぶきた」



これは「つゆひかり」



「あさつゆ」の向こうに粟ヶ岳 茶文字は下半分



御林のササ山から望む中山(佐夜鹿)



粟ヶ岳 だいぶ澄んできました。「茶」が読めます。


2012.1.18 19:54 杉本和久





  

2012年01月19日 Posted by 茶の蔵かねも at 10:50Comments(0)生産家より

寒さに負けず。



1月11日 弊社管理の特別栽培茶園を撮影してきました太陽


茶葉は鮮やかな緑色で冬の寒さにも負けず元気に育っていましたニコニコ
                                             工場社員  河原崎  
タグ :掛川お茶

2012年01月12日 Posted by 茶の蔵かねも at 11:52Comments(0)茶園の表情

No.34 志戸呂 四耳壺「祖母懐」銘

 


口径:6.5cm 
高さ:15cm 
時代:18世紀  

2012年01月07日 Posted by 茶の蔵かねも at 13:52Comments(0)志戸呂焼 茶壺

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございますあはは
2012年がスタートしましたびっくり

私のいた場所では6時59分頃から初日の出が見え始めました

6時59分です


7時4分です

少し雲がありましたが、とても綺麗な初日の出でした(*^^)vキラキラ

到着するのが直前になってしまい
日が出る方に向かって新年早々走ったのが印象的でしたスタコラ あはは汗

今日もとても良い天気です太陽




かねもは本日1月2日から通常通り営業しております

華やかな御年賀商品も販売しております


本年もどうぞよろしくお願いいたしますニコニコ


2012年が皆様にとって良い1年になりますようにキラキラ


石 山 

  

2012年01月02日 Posted by 茶の蔵かねも at 11:17Comments(0)社員日記

第三十二回  太宰治――不審庵(2)



お茶と文学者 第三十二回
太宰治――不審庵(2)

株式会社「かねも」相談役 角替茂二

 太宰 治

 尚栄西禅師の茶の将来については三十年ほど前に書かれた村井康彦の指摘を忘れる訳にはゆかない。むろん太宰とは関係ないが大切な話だと思うので転訳する。

村井康彦「茶の花文化史」

 …………栄西が茶を将来したことに関して、疑義がないわけではない。ことに帰朝したのが七月というのは太陽暦に直せば八月ないし九月で、これでは発芽力が弱く一夏過ぎると九十パーセント近くその力を失う(松下智『日本の伝来』)という茶の種子を持ち帰ることは困難であったはずだとし、このことから栄西将来説を否定する意見も出されている。これは通訳に対する根本的な批判といわねばならない。
 しかし栄西将来説は否定し去られるのであろうか。

栄西将来説
 
 栄西は二度目の入宋中、文治五(一一八九年)、道邃法師が天台山に植えたという菩堤樹の一株をとって南船に托し、「わが伝法中興の効を験(あらわ)さん」ために故国に送ったという。この菩堤樹は筑前香椎宮らの傍らに植えられ、のち東大寺、さらに建仁寺へ移植されている。これは茶の将来に関して参考にしてよいことだ。
 栄西が持ち帰ったのは茶の種子(実)ではなく、茶の若木ではなかったか。茶の育種研究者や茶業者の見解では、根に土をくるんでおけば数ヶ月は十分維持することが可能であり、栄西が持ち帰ったとするならこの方法以外には考えられないという。とすれば、通説を否定するのに種子にこだわる新説も、結果としては同じあやまちを犯していることになる。自身茶道を著している栄西の将来説は、如上の修正を施した上でなら、あえて否定することはあるまいと考える。
…………

 『喫茶養生記』
 しかし考えてみるに、栄西による茶樹の将来がなぜ問題になるのであろうか。この時点では大内裏茶園は廃れていたと思われるが、旧仏教系寺院のなかには茶園を擁したものもあったはずである。栄西の将来した茶は主に禅宗寺院に植えられたが、しかし背振山(天台宗)や高山寺(華厳宗)の例もある。といって鎌倉後期に名を著す寺院茶園(後述)のすべてが栄西の茶を移植したものでもあるまい。
 あれこれ勘案すれば、栄西の茶樹の将来と移植が、茶の栽培の普及上一つのきっかけとなり、はずみをつけたことは確かであるとしても、それが可能であったのは、あくまでも新しい茶法-抹茶のつくり方と飲みかた―の裏付けであってのものであろう。栄西の功もそこに求められるべきものである。そしてその新茶法を記述したのが『喫茶養成記』二巻に他ならない。
…………

『喫茶養成記』はわが国における最初の茶書であるが、その特徴は、書名にも示されているように茶の持つ実用性=茶徳を説くにあり、後世強調されているようになる「茶禅一味」といった意識のひとかけらもないということである。これには栄西自身が禅僧というより台密の僧として活躍したことも無関係ではないであろうが、この事実の確認は、これ以後の歴史を考える上で、是非とも必要なことである。

喫茶におけるこの「実用主義」から「精神主義」への変質過程を捨象もしくは無視した茶禅一味論がいちじるしく非歴史的であり、時に空疎であるのは決して理由のないことではない。
(岩新 茶の文学史P47)

 茶事に就いて太宰の記したコミカルな文章。かなりくどくて、その未知の人士の顰蹙を買ったかも知れない。だが簡潔では太宰文学は成立しない。

不審庵

 拝啓。暑中の御見舞ひを兼ね、いささか老生日頃の愚衷など可申述候。老生すこしく思ふところ有之、近來ふたたび茶道の稽古にふけり居り候。ふららび、とは、唐突にしていかにも虚飾の言の如く思召し、れいの御賢明の苦笑など漏らし給はんと察せられ候も、何をか隠し申すべき、われ幼少の頃より茶道を好み、實父孫左衛門殿より手ほどきを受け、この道を傅授せらるる事數年に及び申候へども、悲しい哉、わが性鈍にしてその眞趣を究る能はず、しかのみならず、わが一擧手一投足はなはだ粗野にして見苦しく、われも實父も共に呆れ、孫左衛門殿逝去の後は、われその道を好むと雖の雜用やうやく繋ぐ、心ならずも次第にこの道より遠ざかり、父祖傅來の茶道具えおも、ぽつりぽつりと賣拂ひ、いまは全く茶道と絶縁の淺ましき境涯と相成申候ところ、近來すこしく深き所感も有之候まま、まことに數十年振りにて、ひそかに茶道の獨習を試み、いささかこの道の妙訣を感得仕り申候ものの如き實情に御座候。
・・・・・・・・・
 近來いささかこの道に就きて修練仕り申候ところ、卒然としてその奥義を察知するにいたり、このよろこびをわれ一人の胸底に祕するも益なく惜しき事に御座候へば、明後日午後二時を期して老生日頃昵懇の若き朋友二、三人を招待仕り、ささやかなる茶會を開催致したく、貴殿も萬障操合せご出席然るべく無理におすすめ申上候。流水濁らず、奔湍腐らず、御心境日々に新たなる事こそ、貴殿の如き藝術家志望のものには望ましく被存候。茶會御出席に依り御心魂の新粧をも期し得べく、決してむだの事には無之、まづは欣然御應諾當然と心得申者に御座候。頓首。
 ことしの夏、私は、このやうなお手紙を、れいの黄村先生から、いただいたのである。
…………
 私は先生のお手紙を拜誦して、すぐさま外食し、近所の或る優雅な友人の家を訪ねた。
…………
 「茶道讀本」とか「茶の湯客の心得」とか、そんな本を四冊も借りて私は家へ歸り、片隅から讀派した。
…………
 聖戦下、 澤なことを望んではならぬ。先生に於いても、かならずやこの際、極端に質素な茶會を催し、以て私たち後輩にきびしい教訓を垂れて下さるおつもりに違ひない。私は懐石料理の作法に就いての勉強はいい加減にして、薄茶のいただき方だけを念いりに獨習して置いた。さうして私のそのやうな豫想は果して當つてゐたのであったが、それにしても、あまりに質素な茶會だつたので、どうにも、ひどい騒ぎになつてしまつた。
…………
 黄村先生は、その日、庭に面した六疉間にふんどし一つのお姿で寢ころび、本を讀んで居られた。おそるおそる縁先に歩み寄る私たち三人を見つけて、むつくり起き上り、
「やあ、來たか。暑いぢやないか。あがり給へ。着てゐるものを脱いで、はだかになると涼しいよ。」茶會も何もお忘れになつてゐるやうにさへ見えた。
 けれども私たちは油斷をしない。先生の御胸中にどのやうな計略があるのかわかつたものではない。私たちは縁先に立ち並び、無言でうやうやしくお辞儀をした。先生は一瞬けげんそうな顔をなさつたやうだが、私たちはそれにかまはず、順々に縁側に躙(にじ)り上がり、さて私は部屋を見廻したが、風爐も釜も無い。ふだんのままのお部屋である。私は少し狼狽した。頸を伸ばして隣の三疉間を覗くと、三疉間の隅にこはれかかつた七輪が置かれてあつて、その上に汚く煤けたアルミニュームの藥鑵がかけられてゐる。これだと思つた。そろそろと膝行して三疉間に進み、學生たちもおくれては一大事といふやうな緊張の面持でぴつたり私に附き添つて膝行する。わたしたちは七輪の前に列座して畳に两手をつき、つくづくとその七輪と藥鑵を眺めた。期せずして三人同時に、おのづから溜息が出た。「そんなものは、見なくたつていい。」先生は不機嫌さうな口調であつしゃつた。けれども先生には不機嫌さうな口調でおっしゃつた。けれども先生には、どのやうな深い魂膽があるのか、わかつたものでない。油斷がならぬ。
「この釜は、」と私はその由緒をお尋ねしようとしたが、なんと言つていいのか見當もつかない。「ずゐぶん使ひ古したものでせう。」まづい事を言つた。
「つまらん事を言ふなよ」先生はいよいよ不機嫌である。
「でもずいぶん時代が、―――」
「くだらんお世辭はやめ給へ。それは驛前の金物屋から四、五年前に二圓で買つて來たものだ。そんなものを褒める奴があるか。」
どうも勝手が違ふ。けれども私は、あくまでも「茶道讀本」で教へられた正しい作法えお守らうと思った。
・・・・・・・・
 「それじや、はじめよう。」先生は立ち上つて隣の三疉間へ行き、襖をぴたりとしめてしまつた。
「これからどうなるんです」瀬尾君は小聲で私に尋ねた。
「朴にもよくわからないんですがね」何しろ、まるで勝手が違つてしまつたので私は不安でならなかつた。
「普通の茶會だつたら、これから炭手前の拜見とか、香合一覧の事などがあつて、それから、御馳走が出て、酒が出て、それから、―――」
「酒も出るのですか。」松野君はうれしさうな顔をした。
「いや、それは時節柄、省略するだらうと思ふけど、今に薄茶が出るでせる。まあ、これから一つ、先生の薄茶のお手前を拜見するといふ事になるんぢやないでせうか。」私もあまり自信が無い。
 ぢやほぢやぼといふ奇怪な音が隣室から聞こえた。茶筅でお茶を掻き回してゐるやうな音でもあるが、どうにしても、それにしてはひどく乱暴な騒々しい音である。私は聞き耳を立て、
「おや、もうお手前がはじまつたのかしら。お手前は必ず拜見しなけらばならぬことになつてゐるのだけど」
氣が氣でなかった。襖はぴったりしめ切られてゐる。先生は一體、どんな事をやらかして居られるのか、ぢやぼぢやぼといふ音ばかり、絶えまなくかまびすしき聞こえて來て、時たま、ううむといふ先生の呻き聲さへ混じる有様になつて來たので、私たちは不安のあまり立ち上がつた。
「先生!」と私は襖をへだて呼びかけた。「お手前を拜見したいのですが」
「あ、あけちゃいけねえ。」といふ先生のひどく狼狽したやうな嗄れた御返辭が聞こえた。
「なぜですか。

「いま、そつちにお茶を持つて行く。」さうしてまた一段と聲を大きくして、「襖をあけちゃ、駄目だぞ!」
「でも、なんだか唸つていらつしゃるぢゃありませんか。」私は襖をあけて隣室の模様を見とどけたかつた。襖をそつとあけようとしたけれども、陰で先生がしつかり抑えてゐるらしく、ちつとも襖は動かなかった。
「あきませんか。」海軍志願の松野君が進み出て、「僕がやつて見せませう。」
 松野君は、うむと力んで襖を引いた。中の先生も必死のやうである。ちょつとあきかけても、またぴしやりとしまる。四、五度もみ合ってゐるうちに、がたりと襖ははづれて私達三人は襖と一緒にどつと三疉間に雪崩れ込んだ。先生は倒れる襖を避けて、さつと壁際に退いてその拍子に七輪を蹴飛ばした。藥鑵は顚倒して濛々たる湯氣が部屋に立ちこもり、先生は、
「あちちちち。」とさけんではだか踊りえお演じてゐる。それとばかりに私たちは、七輪からこぼれた火の始末をして、どうしたのです、先生、お怪我は、などと口々に尋ねた。先生は、六疉間の真ん中に、ふんどし一つで大あぐらをかき、ふうふう言つて、
「これはどうにもひどい茶會であつた。いつたい君たちは乱暴すぎる。無禮だ。」とさんざんのふきげんである。
 私たちは三疉間を、片づけてから、おそるおそる先生の前に居並び、そろってお詫びを申し上げた。
「でも唸つていらつしゃつたものですから心配になつて。」と私がちょつと辯解しかけたら、先生は口をとがらせて、
「うむ、どうも私の茶道も未だいたつてをらんらんしい。いくら茶筅をでかきまはしても、うまい具合ひに泡が立たないのだ。五囘も六囘も、やり直したが、一つとして成功しなかつた。」
 先生は、力のかぎりめちやくちやに茶筅でかきまはしたものらしく、三疉間は薄茶の飛沫だらけで、さうして、しくじつてはそれを洗面器にぶちまけてゐたものらしく、三疉間の真まん中に洗面器が置かれてあつて、それには緑の薄茶が一ぱいたまつてゐた。なるほど、このていたらくでは襖をとざして人目を避けなければならぬ筈であると、はじめて先生の苦衷のほどを察した。けれどもこんな心細い腕前で「主客共に淸雅の和藥を盡さん」と計るのも極めて無鐡砲な話であると思つた。所詮理想主義者は、その實行に嘗つてとかく不器用なもののやうであるが、黄村先生なやうに何事も志と違つて、具合ひが惡く、へまな失敗ばかり演ずるお方も少ない。案ずるには先生はこのたびの茶會に於いて、かの千利休の遦訓と稱せられる「矢の湯とはただ湯を沸かしてちゃをたてて、飲むばかりなるものと知るべし」といふ歌の心を實際に顯現して見せようと計ったものであらう。ふんどし一つのお姿も、利休七ヶ條の中の、
一、夏は涼しく
一、冬はあたたかに
 などといふところから暗示を得て、殊更に涼しい形を裝つて見せたのかもしれないが、さまざまの手違ひから、大変な茶會になつてしまつてお氣の毒な事であつた。
 茶の湯も何も要らぬ事にて、のどの渇き申候節は、すなはち臺所に走り、水甕の水を柄杓もてごくごくと牛飲仕るが一ばんにて、これ利休の茶道の奥義と得心に及び申候。
 といふお手紙を、わたしはそれから數日後、黄村先生からいただいた。
(全6P359)
(つづく)

(つのがえ しげじ)





  

2011年12月27日 Posted by 茶の蔵かねも at 10:50Comments(0)お茶と文学

年末年始営業日について


年内は今日から12月31日までお休みなく日曜日も営業しています


新年は1月2日から営業いたします




どうぞよろしくお願いいたします





  

2011年12月24日 Posted by 茶の蔵かねも at 17:06Comments(0)お知らせ・新着情報

12月の定休日のお知らせ


おはようございます上昇あはは


昨日の朝は風が強かったですが、今日はいいお天気です太陽キラキラ


かねもは毎週日曜日を定休日とさせていただいておりますが、
12月は第1日曜日(本日)、第4日曜日(25日)は営業致しておりますおまわりさん


第2.3日曜日(11日、18日)だけはお休みをいただき、それ以外は31日の18時まで
営業しております


お歳暮のご注文承っておりますプレゼント



今年も秋がゆっくりで急に冬がきた感じがしましたおすまし汗


かねもの庭のもみじがきれいに色づいていますもみじ


去年より色が赤いような・・・ミカン犬


お仕事や、年末年始の準備などお忙しい時期と思いますが、お体には気をつけてくださいニコニコクローバー



   石 山 工事  

2011年12月04日 Posted by 茶の蔵かねも at 10:08Comments(0)お知らせ・新着情報

煎茶チョコレートが紹介されました♪

最近急に寒くなりました雪だるま

いろいろな地域で紅葉が見ごろな季節ですねウィンクもみじ


静岡新聞 びぶれ浜松さんの

森町・掛川・菊川の特集でかねもの煎茶チョコレートを紹介していただきましたびっくり






記者の方が店主のお茶・チョコレートなどの話を聞きに来てくださり、紹介してくださいました


内容をこちらでもご紹介しますキラキラキラキラ


茶処掛川はお茶商品が多彩にそろっていますが、
秀逸なのが、かねもの煎茶チョコレート「みどりの恋人」

自家農園で農薬を使わずに育てた特別栽培茶「特撰寧茶」(ねいちゃ、50g1,050円)を
使用したチョコは甘さとほろ苦さのバランスが絶妙。

上質茶を飲んだあとの豊かな風味が口の中に残ります。

男性にも好評。プレゼントにしても喜ばれます。




記事を見て、立ち寄ってくださるお客様もいらっしゃいましたあはは


このたびは本当にありがとうございましたキラキラキラキラ



秋のドライブのお土産にチョコレートはいかがですか  もみじ 車


 
                           
 石 山

    

2011年11月26日 Posted by 茶の蔵かねも at 15:51Comments(0)お知らせ・新着情報

No.33 志戸呂 壺「兼枝」印




口径:16.5cm 
高さ:37.5cm 
時代:19世紀  

2011年11月15日 Posted by 茶の蔵かねも at 10:59Comments(0)志戸呂焼 茶壺

御林茶業組合の杉本和久さんよりメールをいただきました。

T-1 グランプリ

杉本和久です。

さる6日(日)「お茶のまち掛川」のイベントがあり、
そのなかで小学生に参加してもらう「T-1グランプリ」(茶歌舞伎とお茶のいれかた実技)
で不肖私、審査員を務めました。(審査員ノーギャラ)

80名余りの参加があり面白かったですよ。
決勝は壇上 観客に見つめられて行われました。(私もです)






 写真は決勝戦後の5人。左から一位、二位・・五位の選手。女子ばかり。
男子は残念だけど、(審査によって)予選でふるい落とされました。一位6年生、
でも二位の子は3年生ですよ。来年が楽しみ!
 
彼女たち上手に茶をいれてくれました。おいしかった!

おいしくいれるコツはお茶っぱを多めに使うこと。
これにつきますね。
 
願わくば、これが社会人に向けて行われればいいのに、と思います。
もっとドキドキしながら審査してみたいな・・違う違う、そうじゃなくて、
若者にアピールしたいからですお茶を。


23年産のお茶はうまいですよね。
わが「あさつゆ」も秋になったら、うまいこと。
できたてより熟成がすすんで美味くなる典型ですね。
この味を多くの人に知ってもらいたいです!!



2011.11.08 20:46 杉本和久  

2011年11月10日 Posted by 茶の蔵かねも at 14:52Comments(0)生産家より

お茶と文学者 第三十一回 太宰 治 ―不審庵(1)

太宰 治
 昭和の敗戦直後の虚脱した世相の中で、太宰治の小説には中年の男女ファンがわんさと群れ犇めいた。と云っても一時代前の著名作家、例えば志賀直哉の如きは彼の人間的資質を疑問視するかの如くであった。平成時代の人はこれをどうとらえているのだろうか。
 六版の広辞苑によれば「屈折した罪悪意識を道化と笑いでつゝんだ秀作が多く、第二次大戦後は虚無的、頽廃的な社会感覚を作品化した」とある。文例として「斜陽」「人間失格」「晩年」などが挙げられている。
 彼は三十九才の若さで人生にサヨナラした。女性とともに玉川上水に入水自殺。既に自殺未遂の経歴はあったが、場所が場所であっただけに、都民の非難の声が喧しかった。
 さて、太宰の文章にお酒は頻発するが、お茶の方はサッパリである。それでも僅かな例外として、「右大臣実朝」の中で栄西禅師の「喫茶養生記」の話がある。むろん彼の頭の中にお茶の功徳についての智識はあったかも知れないが、そもそも「延齢」とか「養生」とかいった事の大切さ、有難さなど微塵もなかったのではないか。逆説的に云えば、こんな筆法の中に太宰文学の存在価値があったと云えなくもない。
 そして茶席を戯画化した「不審庵」の一文はいわば太宰的手法のサンプルのようなものである。適切とも思えないが、これを首題とした。

実朝と栄西
 太宰の「右大臣実朝」は長編の力作なのだが、彼の多くの著作中の失敗作であると評する人もある。その史観の浅さをついているのだろうか。それは兎も角、栄西さんの「喫茶養生記」に触れている箇所がある。
お茶の効用のプロパガンダーと解釈して取りあげてみるが、その行分のコンポジジョンは実朝の傍用人の立場で組立てられ、まことに巧妙な仕掛けになっている。なみなみならぬ文才と云うべきか。

右大臣実朝
…………
 いやしくも征夷大將軍、武門の總本家のお方が、武藝を怠り和歌にのみ熱中し、わけもない御酒宴をおひらきになり婦女子にたはむれていらつしやる時には、御身分が御身分でもあり、ひどく目立つ事でもございますから、やつぱり御耽溺と申し上げなければならぬやうな結果になり、私たちお傍の者も、終始變らず將軍様を御信頼申し、お慕ひ申してゐながら、それでも、時たま、ふいと何とも知れず心細くなる事がございました。あくる健保二年のお正月には、れいの二所詣に御進發になり、私たちもお供を致しましたが、二月三日には、ご一行無事に鎌倉へ御歸着に相成り、その夜はお供の者のこらず御ところに參候して御盃酒を賜り、たいへん結構の御馳走ばかりつぎつぎと出て、夜の更けるにつれて飲めや歌への大騒ぎになり、將軍家も夜明け近くまで皆におつき合ひ下され、その時ばかりは、さすがに御正座も困難に見受けられたほどにいたくお醉ひの御様子でございました。さうして、その翌る日は、お床におつきになられたきりで、ひどくお苦しみの御模様に拜され、大勢の御家人たちが續々とお見舞ひに駆けつけて、御ところにただならぬ不安の氣がただよひ、けれどもその折ちやうど御加持に伺候して居られた葉上僧正さまが、その御様態の御宿醉に過ぎざる事を見てとり、お寺から或る種の名薬を取りよせて一盞獻じましたところが、たちまち御惱も薄らぎ、僧正さまは頗る面目をほどこしましたが、その名薬といふのは、ただのお茶でございましたさうで、もつともその頃は、鎌倉に於いてお茶といふものは未だほとんど用いられてゐなかったし、全く、珍しかつた時代でございまして、僧正さまは、その場に於いて、その名薬のお茶である事をお明し申し、お茶の德をほめたたへるところの書一卷をついでに獻上なさいました。それは僧正さまが御坐禪の餘暇に御自身でお書きになつた御本だとか、めづらしい本をお書きになつたものだと、けげんさうにお首を傾けて居られたお方もございました。この葉上僧正榮西さまは、御承知のとほり、天平のころからの二大宗教、すなはち傳敎大師このかたの天台宗と弘法大使を御祖師とする眞言宗と、この二つが、だんだんと御開祖のお氣持から離れて御加持御祈禱専門の俗宗になつてしまつたのにあきたらず思召され、再度の御渡宋より御歸朝以來、達磨宗すなはち禪宗といふ新宗派を御開立しようとなされて諸方を奔走し、一方、黒谷の御上人が念佛宗すなはち凈土宗を稱へられたのもその頃の事でございましたが、兩宗派ともそれぞれ上下の信仰を得て、たうとう南都北嶺の嫉視を招き、共にさまざまの迫害を受けられたやうでございまして、榮西さまは、鎌倉へのがれてまゐり、壽福寺を御草創なされ、健保三年六月に痢病でおなくなりなさるまで、ほとんどそこに居られまして、往年に新宗派を稱へ、新智識を以て片端から論敵を説破なされた御元氣は、その御晩年には、片鱗だも見受けられず、さらに大きくお悟りになつたところでもあつたのでございませうか、別段、御宗派にこだはるやうなところも無く、御加持御祈禱もすすんでなさいましたし、おひまの折には、お茶のお德をほめたたへる御本などと、珍奇なものまでお書きあらはしになるくらゐでございましたから、私たちの眼には、ただおずるいやうな飄逸の僧正さまとしか見えませんでした。(全6P41)

 全集七巻に「右大臣実朝」のPR文章として「鉄面皮」と云ふ短文がある。その中で太宰は実朝を書く心構えとして次のように述べている。
…………
 べつに、いいところだから抜書きしたといふわけではない。だいたこんな調子で書いてゐるのだといふ事を、具體的にお知らせしたかつたのである。貫朝(貫にうかんむり)の死と共に出家して山奥に隠れ住んでゐるのを訪ねて行つて、いろいろと貫朝に就いての思ひ出話を聞くといふ趣向だ。史貫(貫にうかんむり)はおもに吾妻鏡に據つた。でたらめばかり書いてゐるんぢやないかと思はれてもいけないから、吾妻鏡の本文を少し抜萃しては作品の要所々々に挿入して置いた。物語は必ずしも吾妻鏡の本文のとほりではない。そんなとき兩者を比較して多少の興を覚えるやうに案配したわけである、などと、これではまるで大道の藥賣りの口上にまさる露骨な廣告だ。
………
 ついでに吾妻鑑の一部を掲げる。
 健保二年甲戌。二月大。一日、丙申、晴、亥刻地震。四日、己亥晴、將軍家聊か御病惱、諸人奔走す、但し殊なる御事無し、是若し去夜御淵醉の餘氣か、爰に葉上僧正御加持に侯するの處、此事を聞き、良藥と稱して、本寺より茶一蓋を召進ず、而して一卷の書を相副へ、之を獻ぜしむ。茶德を譽むる所の書なり、將軍家御感悦に及ぶと云々。七日、壬寅、
(つのがえ しげじ)
  

2011年10月28日 Posted by 茶の蔵かねも at 13:58Comments(0)

☆クッキーが焼きあがりました☆

本日からクッキーが販売開始になりました太陽


☆ル・ヴェール緑



焼きあがったクッキー生地に
有機粉末茶微粉と砂糖を混ぜたものを
まぶしましたパンダ



☆ル・ブロン白



焼きあがったクッキー生地に
砂糖をまぶしましたパンダ




の2種類になりますちょき




ホームメイドで数に限りがあるため
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2011年10月28日 Posted by 茶の蔵かねも at 13:31Comments(0)

No.32 志戸呂 壺「兼枝」印 




口径:9.5cm 
高さ:19cm 
時代:19世紀  

2011年10月05日 Posted by 茶の蔵かねも at 11:42Comments(0)志戸呂焼 茶壺

第三十回 三好達治――茶の花十里(4)


お茶と文学者 第三十回
三好達治――茶の花十里(4)
株式会社「かねも」相談役 角替茂二

健吉の芭蕉評釈にも茶の煙が何たるかを示唆するものはないが、参考迄に要点を記してみる。主として杜牧の詩と関連についてである。

八月廿日過ぎ、まだ未明に宿を立つているのである。馬上でいきたびも眠りに落ちようとしたり、落馬しようとしたり、うとうとしているうちに、いつか中山の峠にかかつて、馬上の殘夢を覺まされた。するとその景は、杜牧の『早行詩』にすつかり嵌りこんだというわけだ。馬上にうつらくと暁の夢を追うて居る。と、空には有明の月が遠く浮かび、麓の日坂の宿驛あたり、朝茶を煮る煙が芭蕉の旅情を掻立てる。
………
言わば杜牧の詩の焼き直しから出發しているのであつて、その漢詩的外形が、内面化され、濾過されて、一つの俳句的結晶を得るまでの過程が、三段の俳句の變化のうちにうかがわれるのである。だから、最後に到つても、發想の中核をなす漢詩的なものは、モチーフとして内在しているのである。このような發想は、個性による獨創を重んずる近代のわれわれには、はなはだ飽き足りなく思われる。だがそれは、われわれには失われた歴史的意識を、芭蕉が持つていたからではあるまいか。過去の詩人に對する関係が、故意意識の強いわれわれよりは、はるかに密接なのである。芭蕉の詩的・言語的體驗は、そのような詩心の時間的交通の上に築かれているのだ。
…………
杜牧の詩にここで芭蕉が加えたものは、素材的には「茶の煙」だけである。「茶の煙」だけが、馬上で覺めて確かに認めたイメージなのであつて、あとは古人の詩による虚の世界から導き出されたものである。その虚と簣との交錯が、彼が最初から執着した「眠からんとして」という夢うつつの意識状態に、よく照應した表現をもたらしている。「馬に寢て」「殘夢」「月遠し」「茶の煙」の、四段に途切れた句の疊み重ねは、次第に眠りから覚めていく意識の推移でもある。「月遠し」は、「殘夢」よりも覺醒におけるイメージであるが、それでもまだ次第に遠ざかり、消え去つて行く虚の世界の殘照がただよつている。彼の朦朧たる意識のなかで、月が遠いのである。「茶の煙」に至つて、はじめて實の世界に、芭蕉ははっきりと目を開くのである。彼は驚き、我にかえるのだ。それは「世路平か」な現實の庶民生活のなつかしい匂いだからである。「高き屋に」(傅仁徳天皇)の御製以来、竈の煙は人の心に沁み入るものである。ついでに言えば、小夜の中山は、彼が夢寐にも忘れない西行きにゆかりの地であった。
 漢詩的な佶屈をまだ充分脱していないとしても、この句には不思議な感銘がある。これは意識の深層において成立したものとは言えないが、ともかく意識の深層状態に、表現の動機を持つている。杜牧の詩と濱景とが、夢と現實とが、重なり合つた世界である。その意味で「茶の煙」を馬上に通りすがりに見た村里の煙という穎原説というより、いくらか重い解釋説に到達したわけなのである。

俳句研究家 山田新一氏

馬に寝て殘夢月遠し茶のけぶり   芭蕉(甲子吟行)

芭蕉が遠江(静岡県)小夜の中山あたりで馬の鞍の上から見たこの「茶のけぶり」も家々で朝々の茶を煎じる煙の、軒から屋根へゆっくりと這い上がっていきさまだった。「馬に寝て」というきびしい旅の日々と、夢の名残と夜明けの月と、立ち上る家々の茶の煙と――

一幅の墨絵のような風景ではある。今は大茶園になっている牧之原台地(静岡県)は明治になってからの開拓として知られるが、その金谷側のはずれにこの句碑が建てられているのを見た人もいるかも知れない。

又別のところで

 「茶のけぶり」は朝茶を沸かす煙である。馬の上から見たのだろう。前書の中の小夜の中山は西行の歌などにもある名どころで、静岡県掛川市の東にある山。東海道五三次では金谷と日坂の間にある。平安時代から東海道の難所の一つとされたところだ。杜牧は中国晩唐の詩人である。

響庭幸男氏

 馬上に夢うつつでいると、有明の月が上って茶のけむりが村から立ちのぼっている。馬上の酔生夢死の一コマである。

 句の解釈は人さまざまであるが、馬上の酔生夢死は如何なものか。

曽我修一氏(元静岡県茶業会議所事務局長)

 未明から立ちのぼる茶小屋の煙を見て、茶揉みの苦労を察したものであろうか。そのころ、小夜の中山辺りに茶畑があったかどうか詳らかではないが、(中略)
 …………
 同書は、東海道五十三次の難所の一つであり、参勤交代の諸大名の格好の休息所として茶の需要も多かったに違いない。従って、寺内やその付近に茶畑が設けられていたことは想像できる。が、そのような詮議は別として、三百年の昔、芭蕉がふと詠んだ地が、日本一の茶産地になろうとは、思えば奇しき因縁である。(ふるさと百話)

 中野孝次の選んだ随筆集には澁茶が出てくる。次のような按梅式である。

 海辺の窓

 破風(はふ)をもる煙かすかに
 水をくむ音はをりふし
 この庵(いお)に人はすめども
 日もすがら窓をとざせり

 自らこう歌った私の家の海に向った窓はその前に藤棚のたおれたのがいつまでもたおれたままで、それが新しく芽をふき蔓(つる)をのばし、白い花房が気ままに咲き乱れる時分になっても、めったに雨戸を操って開け放たれたことがない。けれどもこの案(いおり)にも人は住んでいるので、案の主(ある)じは終日籠居(りょうきょ)して、時にしばしば、人に語るすべもない物思いに耽っていることが多い。終日書を読み渋茶をすすり、物思いに耽っている初老の男は、夜もまたぽつねんとして、燈火(とうか)の下で墨など磨(す)っているのである。…………
(岩文随P109正覚坊)

又、
 …………
 天守閣のてっぺんからの眺望は、思ったほどの見晴らしではなかったが、さすがに悪くはなかった。お城は何も観光むきの展望台ではないのだから、と納得しながら、折からの新緑の鬱然(うつぜん)としてみずみずしいのに心をなかせっきりにして暫くの間私は徘徊(はいかい)した。
 城を下ってもう一度お濠端に出て、腰を下ろして渋茶を一杯啜(すす)っていると、遠足らしい子供たちが観光バスから吐き出されて、私の前で列をつくった。
(全P152柘榴の花)

 三好の詩歌鑑賞批判文は数多く、全集三文一と云ふ。ぶろん秀歌が多い。茶が出てくることもある。

 吉井のうた

茶の香にも涙ぐまれぬ人の世のなさけに似たるものならなくに

「茶の香にも」は『殘雪』卷末の一風である。この歌人の心魂を、問はず語りに語り出たふりであらう。
(吉井勇)『寒行』

河上のうた

大いなる饅頭蒸してほほばりて茶をのむ時もやがて來るらむ

又、
旅人賊 として

春ともなれば鳥の聲
秋ともなれば蟲の歌
山路を行けば山路のやどに
海邊を行けば海邊のやどに
夏は涼風を漂はし
冬は爐火を燃して
一甌の茶
1架の書
(河上肇)

桑原、石原の年譜によれば、三好は昭和三十九年四月室生犀星全集第一巻叢刊の祝宴に出席、皈途深酒を重ねて深夜に及ぶ云々とある。そしてその数日後サヨナラとある。深酒こそが元凶であったと推測せざるを得ない。彼は酒はキライと称しながら詩作の為には酔って陶然、感慨深く、感情的になりたかったのだろうか。(岩文三好達治随筆集、P98)この随筆集の編者中野孝治は三好を孤独漂白の詩人として「閑窓一箋」のはじめの部分を記し、集の締め括りとしている。
酒仙の行年、六十三、いかにも若い。

閑窓一箋

憐れむべし糊口に穢れたれば
一盞(いっさん)はまづわが腸(はら)わたにそそぐべし
よき友らおほく地下に在り
時に彼らを憶ふ
また一盞をそそぐべし
 
 最後にお茶とは関係ないが有名な二行詩「雪」(測量船)を記したい。

 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ
 二郎を眠らせ、二郎の屋根に雪降りつむ

 三好は校歌づくりを好んでいたわけではないが、東京工大をはじめ、三國高、大野高、浜名高、角館中、等の校歌をつくっている。いずれもそれ相応の行き掛かりがあったと考えられる。浜名の場合は鈴木周一の尽力によるもの。 氏が、三好に送った進物の礼状にお茶がしるしてあるのは嬉しい。

 綿地御銘茶惠送下され忝けなく拜受。

又、
 本日 川根産銘茶一かんありがたくいただきました。
 早速頂戴 芳香苦味 甚だよろしいのに驚いてゐます。

又、
 綿地 名産 叉々 御惠送を賜り 忝けなきことに
 存じてゐます。

又、
 松のみど里 さくさんいただきました。久しぶりにまた
 格別結構に風尚致してをります。

(つのがえ しげじ)
  

2011年09月26日 Posted by 茶の蔵かねも at 16:04Comments(0)

御林茶業組合の杉本和久さんよりお写真をお送りいただきました。

杉本和久です。

近所の茶園で「動き」があったのでお知らせします。
トラクターのオペレーターは金谷の茶農家のオヤジさん。
農家の気持ちのまま作業してくれます。
ありがたいですね。




作業前。前回地上部を粉砕してあります。






近寄るとこんな具合。幹が残っています。






9月8日 地下部粉砕のためトラクターが来ました。でかいです。







こんな刃をブン回して茶樹の根部分を粉砕します。







粉砕作業中







地下部粉砕後。地表から40cmくらいは粉々だと思います。






2011.9.9 21:45  杉本和久  

2011年09月13日 Posted by 茶の蔵かねも at 10:05Comments(0)生産家より

御林茶業組合の杉本和久さんよりお写真をお送りいただきました。



くどいですが、杉本和久です。
息抜きにどうぞ。




木村カエル ツアーから戻りました。ピンぼけですね。




このU字溝に居候していました。





鳩山ひさしくん(だといいのですが)「ぽーぽー」と、のどかです。


  

2011年09月12日 Posted by 茶の蔵かねも at 13:32Comments(0)生産家より

No.31 志戸呂 四耳壺「祖母懐上」銘 





口径:10.7cm 
高さ:37cm 
時代:17世紀  

2011年09月06日 Posted by 茶の蔵かねも at 16:18Comments(0)志戸呂焼 茶壺

御林茶業組合の杉本和久さんより写真をお送りいただきました。

 

このごろの作業風景を送ります。

茶園は8月になると、徒長枝(とちょうし)が目立ってきます。
放置すると、長いの、短いのバラバラで一番茶の芽が揃わないので、
今長いのだけ刈り捨てます。

ここから新芽を伸ばし、9月終わりに「四茶芽」として製茶します。
「四茶芽」を刈り取った下3~4センチをさらに
刈り取って「秋番の台」つまり「23年度完成」とあいなります。

 私は3~4センチを葉売りにしますが、うね間に刈り捨てる人もいます。
ひとそれぞれなのですね。




「つゆひかり」作業前 ぼさぼさです。




作業中。燃料喰います。ガソリン高くなりました。トホホ・・。




刈り捨てた「徒長枝」 けっこう長いでしょ。




まだたくさん残っています。急がなくちゃ・・。




作業後。ぼさぼさだったのがこんなにサッパリしました。




「鳩山ひさし」クン 巣立ちました。
電線などの上で「ぽっぽー」とのどかに啼いています。
また来てね。



2011.8.28 21:14 杉本 和久  

2011年08月29日 Posted by 茶の蔵かねも at 17:49Comments(0)生産家より